人見神社の御朱印
「ひとみじんじゃ」主祭神:天之御中主命(千葉県君津市人見892)
▼人見神社の御朱印です。
右上のスタンプは「二総六妙見」。
初めて目にした言葉と文字です。
古くから人々の崇敬を受けてきた以下の神社を示す言葉だそうです。
「上総国」にある人見神社・久留里神社・横田神社
(上記は「こちら」から引用させていただきました)
恐れ入りました!
読みは「にそう ろく みょうけん」で良いのでしょうか?
▼境内を見渡せば授与所はすぐ分かります。
しかし御朱印をいただきたい場合、
神社の休務日があるようなので「HP」や「twitter」で確認が必要です。
▼一番近い内房線「青堀駅」からでも歩くと10〜15分かかるようです。
神社の案内ではタクシーで「君津駅」から10分「青堀駅」から5分となっています。
ブログ見出しで「高台に鎮座」と表現しましたが、
標高60mほどの「人見山」の頂まで車で駆け上がりました。
▼神社参拝作法の前にこの看板に導かれてしました。
▼「○○百景」なんていうものは全国に多数あります。
しかもここは「千葉限定」+「眺望限定」の100景。
眺望の素晴らしさで100ヶ所を選ぶのは無理があるように思えます。
したがって標高60mほどの眺望はこの程度で「それなり」。
でも「ちば眺望100景」「素晴らしい眺望」とは言ってません。
単に「眺望100景」です。
▼同じ眺望でも夜景となると話は違います。(▼写真は「yakei.jp」さんから拝借)
雪景色同様、夜景も雑多なものを隠すので綺麗に見えるのでしょう。
▼境内脇の眺望エリアに「宮城遥拝標」。
伊勢神宮遥拝所などは度々目にしますが「宮城」は珍しいのでは・・?
現代では皇居を訪問しても二重橋方向に向かって頭を下げる人は少ないでしょう。
戦前、もしくは戦後間もない時期に建てられた「宮城遥拝標」かもしれません。
満開の桜の下を過ぎて境内に戻ります。
▼神仏習合の名残りがあります。
▼山の頂にある境内までは下からいくつかの参道があるのでしょう。
▼下から徒歩で石段を登ってくると、ここに着くまで15〜20分ほどだそうです。
▼狛犬のルージュは濃い目です。
▼こちらはルージュというより、食後の血のしたたりのような様相。恐れ入りました。
▼傷んでいるけどこちらはカワイイ。遠慮深い位置にいます。
▼確かに「ちば眺望100景」と言える眺めかもしれません。
▼順序が逆で遅くなりましたが清めます。
▼亀さんが水を吹き上げていました。龍に竹筒を咥えさせるよりは良い姿です。
さて、創建を970年とする当社の由緒から引用です。
古く、日本武尊が相模から房総へむかう海上で嵐に遭ったとき、妃の弟橘姫命は自ら海中に身を投じて龍神の怒りを解き、暴風を鎮めたといいます。無事、上総へ渡った武尊は獅子山に登り、妃を追慕しつつ海路を「不斗(ふと)見そらし給う」たので「ふとみ」すなわち「人見(ひとみ)山」となったといわれています。
日本武尊が弟橘姫と走水を船出して、途中 橘姫命を犠牲にしながら房総半島に渡っています。しかし具体的にどこに上陸したのかは不確かです。
したがって、この地域にはたくさんのヤマトタケル伝説が残っています。
人見神社の鎮座する人見山(獅子山)も、その言い伝えの一つなのでしょう。
古来より崇敬厚い「人見の妙見さま」に挨拶申し上げます。
▼拝殿の脇は随神でしょうか?
▼左右ともに時々見かける「半跏趺坐(はんかふざ)」の姿です。
コンクリート製社殿は昭和に再建されていますが、
焼失前の旧社殿は名工「波の伊八」の彫刻が随所に施されていたそうで、とても残念なことです。
▼コンクリート製とはいえ美しい姿を見せています。
▼境内社は近隣に鎮座していた神社がまとめられています。
「八幡神社、八雲神社、浅間神社、春日神社、吾妻神社」が並んでいました。
▼こちらは「観音堂」。
▼「十一面観音」と「妙見大菩薩」が祀られているようです。
▼最後にもう一度「それなり」の「超チョーボー」を目にして帰りましょう。
山の上の神社は、街中の神社と違って参拝者も多くはないでしょう。
参拝中にほかの訪問者に会うことはありませんでした。
それでもロケーションを含め、記憶に残る神社でした。