柴崎神社の御朱印
「しばさき じんじゃ」主祭神:天御中主神(千葉県我孫子市柴崎174)
▼柴崎神社の御朱印です。
朱印帳にしっかり浄書いただきました。
神社所縁の九曜紋と亀のスタンプも押されています。
▼書置きの9月限定や兼務社の北星神社の御朱印も案内されていました。
▼googlemapに案内されたのはこの入口でした。右手に駐車場があります。
山に入っていくような雰囲気のこちらは明らかに裏参道でしょう。
▼表側に回ってみました。
▼車ならこの坂道を上がれば境内の駐車場に導かれます。
▼車道の右側には歩道も設けられていました。
▼車を駐めて表参道を探しました。鳥居前は旧水戸街道でした。
▼鳥居に掲げられた社額は古そうです。
▼鳥居脇には「青面金剛」などの文字が刻まれた塔が並びます。
▼こちらは「湯殿三山」の登拝記念でしょうか? やはり古いもののようです。
▼石段脇に埋め込まれているプレートは「伊勢太々講紀念」。
「いせだいだいこう」と読み、伊勢講の記念碑なのでしょうが、中央の大きな文字は全く意味不明で読めません。
かつては様々な講が組織されて定期的に代表が伊勢や富士、出羽三山どに代参し、持ち帰ったお札を配って各家庭の繁栄や地域安全などを祈願したそうです。
▼石段脇の玉垣は光っているので、ごく最近に整備されたものなのでしょう。
▼石段自体も整備されていますが、江戸時代からすでに石段が築かれていたそうです。
▼石段を登りきると社殿までまっすぐに参道がのびています。
▼参道手前の左脇に庚申塔や道祖神など、さまざまな塔が興味深く並びます。
▼青面金剛が邪鬼を踏みつけています。もちろん、見ざる、聞かざる、言わざるも。
▼道祖神が2塔。
▼こちらも青面金剛。
それぞれ、かつては水戸街道沿いに置かれていたものかもしれません。
それぞれの民間信仰が盛んだったのでしょう。
▼参道途中に「手水舎」があります。
▼手水鉢正面には「神亀」です。
▼花ではないですが、清々しく笹で化粧されていました。
▼当社のかつては「妙見社」と呼ばれ、明治に「北星社」→「柴崎神社」と改称されています。
そんな昔は「妙見社」と呼ばれ、
妙見菩薩の北極星と四神霊獣で北に位置する「玄武」との関係から「亀」が置かれるようになったそうです。
▼狛犬ならぬ狛亀の頭部は玄武に近い姿。
▼御朱印にも亀のスタンプでしたが、亀ばかりでなく狛犬もいらっしゃいます。
当社は日本武尊が征途の武運長久を祈願し幣を立てたことが起こりであるとされ、創建は938年。
また、妙見神を信仰していた平将門の祈願所であったとも伝えられています。
御朱印に押されている「九曜紋」は将門も紋に使用していたとされています。
妙見信仰と北極星を表す九曜紋は、当社と将門とを無理なく繋げています。
▼「天御中主神=あめのみなかぬしのかみ」にご挨拶申しあげます。
▼神明造の社殿は昭和後期に改築されていますので、まだまだ新しさが感じられます。
▼本殿も美しくスクッと屹立しています。
▼いくつかの境内社が見られますが、名称がはっきりしないものもあります。
▼集合社には北野天満宮、八坂・香取神社、水神様などが祀られています。
▼「三峯神社」は江戸時代末期の創建だそうです。覆屋で保護されています。
▼こちらは「稲荷社」。
▼小高いところは富士塚?
▼「富士浅間大神」と刻まれていました。
地域では富士を信仰し、三峰山、月山も、さらに伊勢も講が組まれていたのでしょう。
信仰心は人々を北へ、西へと忙しく旅させていたようです。
▼石段上は神武天皇の石碑でした。
神武天皇に別れのご挨拶をして神社を出ます。
妙見信仰と玄武、将門の繋がりがおぼろげに見えてくる、また見応えのある石碑・石塔も多く興味深く参拝できた柴崎神社でした。