江北氷川神社の御朱印
「こうほく ひかわ じんじゃ」2022年(東京都足立区江北2-43-8)
霊場巡りの寺院のご詠歌はいただくことがあっても、神社で和歌の御朱印をいただけるのは数少な買ったのですが、今やあまり珍しくもないかもしれません。
しかしプリントやスタンプなどで極力筆書きを部分を少なくしようとしている昨今の御朱印事情の中で、直書きで数多くの文字で埋まった御朱印をいただけるのは東京では希少な存在と言える神社でしょう。
2022年訪問時は「見開き二首、千円でお書きいたします」という案内をいただいたので、その通りにお願いしました。
対応いただいた女性は、現在は名誉宮司さんという称号を持っていらっしゃいます。
当社に初めて参拝した2013年には、女性宮司さんはもう少しお若い印象でしたが、
失礼ながらご健在でも、さすが9年の歳月で少しお歳を召されたように感じました。
当ブログも同じ時間を経てきてるのですから他人のことは言えません。
時間の流れは人等しく与えられるものです。
▼1年に1回、和歌の内容が変わると言われる御朱印はこちらでいただきます。
授与品の案内などで賑やかです。
▼扉をガラッと開けた社務所内も様々な案内、サンプルなどで賑やか。
賑やかを通り越して、雑然としているとも言えなくはありません。
しかし、参拝者に分かりやすく伝えたい気持ちが溢れていることが伺えます。
▼ 扇型の書き置き御朱印など「文字」が溢れています。
これらが全て注意書きだったら凍りつきそうですが、そうではありません。
当社では社務所内にかかわらず境内の至る所で丁寧な案内が見かけられます。
神社側の人柄というか、社柄というか、思いが伝わってきます。
▼当社は荒川沿いの首都高川口線脇に鎮座し、最寄駅は舎人ライナー「江北駅」。
北千住駅からコミュニッティバスも運行されていて30分ほどで神社前に到着です。
▼神社前の首都高と荒川堤防。
車で川口方面に行く時は、首都高下の一般道を度々利用していますが、
江北氷川神社は素通りすることがほとんどで、なんと9年ぶりの訪問。
名誉宮司さんの娘さんかお嫁さんから御朱印を受け取った時、そんなことを話すと
笑顔で「アラッまぁ、9年ぶり??!!」と、
諌められたのか、褒められたのか??
神社周囲は鮮やかなエメラルドグリーンの奉納幟で囲まれています。
都内ではこれほど多くの奉納幟、旗を見かけた覚えがありません。
▼社頭にもおびただしい数のお守りなどの授与品がカラフルに案内されています。
社頭からしてカラフルで賑やかです。
当社の神社名であり、地名でもある「江北」は文字通り「江の北」「河の北」ということで現在では荒川を指しますが、
当初の沼田村から江北村になった頃は、荒川放水路が完成する前の「隅田川」を指していたのでしょう。
江北村になる前の沼田村も、文字通り地域は沼と田んぼだけだったのでしょう。
創建年不詳の当社は、そんな沼地に江戸時代初期には鎮座していたそうです。
首都高沿いに建つ現在の姿からは、沼地にポツンとある社を想像するのは困難です。
しかし、江戸時代にはそんな神社が多数あったに違いありません。
近世から近代になって入江、沼地が田畑になり、そして住宅地に変化してきた東京と関東です。
▼鳥居にも様々なガイド版がくくりつけられています。
▼「手水舎」も同様です。
▼獅子の吐水口はかつての拝殿の鬼瓦を利用しているそうです。
▼22年の訪問時のj境内では2人の小学生らしき少年が遊びに夢中でした。
名誉宮司さんのお孫さんでしょうか、2人のうちの一人は社務所に戻ってくると小学生にはあるまじき丁寧さで訪問者のご用を伺っていました。
少年は未来の宮司さんかもしれません。
▼「拝殿」は明治期に造営されたものが改修の手を加えられています。
▼本殿は覆屋に守れれていて様子はわかりません。
▼拝殿前には風車と緋毛氈のお休みどころが設けられています。
そっけないベンチだけではなく緋毛氈が敷いてあるだけで神社側のもてなす心が伝わってきます。
▼拝殿右手に鎮座するのは境内社の「諏方神社」。
▼ここまで狛犬は見かけませんでしたが、諏方神社前には小型の狛犬が一対。
いかつい顔を作っていても全体が小型のなのでカワイイもんです。
▼諏方神社のご神体は「大石」。塩が盛られています。
▼拝殿前は恵比寿と大黒の祠が並びますが、骨董屋の店先のごとくゴチャゴチャです。
多くは奉納品かもしれません。
▼鳥居近くに稲荷社などの祠がたくさん集められた一画があります。
当社は地域を代表するような総鎮守ですので、地域の村々、道々にあった祠が集められたのでしょう。
きっと区画整理、道路拡張、屋敷整理などで行く場所を失った祠たちの落着き先となったに違いありません。
写真は少し明るく処理をしていますが、鬱蒼とした木々に覆われ、薄暗く感じられる現場に数々の祠と狐像に、当社最大のパワースポット的様相が感じられます。
祠や狐像などは、江北村となる江戸時代以前からこの地域で時間を紡いできたかもしれません。
▼「水の神」と「山の神」。
本ブログが最初にいただいた2013年以前から「見開き和歌の御朱印」を授与されていた当社の心遣いが今も変わっていないことが、さまざまな場面で感じられました。
それにしても2013年の御朱印300円という初穂料が懐かしい!