桐ヶ谷 氷川神社の御朱印
きりがや「ひかわ じんじゃ」(東京都品川区西五反田5-6-3)いただいた御朱印は日付以外オールプリントの書き置きでした。
右上のスタンプは「西五反田 氷川神社」、中央の朱印は「氷川神社之印」。
プリントですが中央の墨書きは「氷川」でなく「冰川神社」とされています。
滅多に目にしない「冰」の文字ですが、「氷」の異体字で読みは同じ「こおり」「ひ」「ひょう」です。
▼拝殿横の授与所は閉ざされていたので、境内右手にあったこちらの「参集殿」をピンポンしていただきました。
御朱印はプリントの書置きとは言え、丁寧に手早く対応いただきました。
▼当社の最寄駅は東急目黒線「不動前駅」から徒歩3分ほどです。
「不動前駅」の改札を出て右に進むと当社ですが、
左に進むと「不動前駅通り商店街」を通って「目黒不動」「五百羅漢寺」「蛸薬師」などの御朱印がいただける寺院が連なっています。
その手前で桜並木で有名な「かむら坂通り」を横切ることになります。
▼桜の開花時期ならば「氷川神社」の前に寄り道してみましょう。
「かむろ坂下」から「かむろ坂上」の先まで700mほどの桜のトンネルが見事です。
坂道の両サイドの歩道は花見の散歩人であふれています。
「かむろ」は「禿」と書きますが、歌舞伎や浄瑠璃の演目として有名な白井権八伝説にちなむ名称で、遊女小紫の下女の禿(かむろ)が小柴の死を知った帰り道に襲われ、付近の池に身を投げたことから「かむろ坂」の名が起こったと伝わっています。
その後、地域の人びとから「かむろ坂通り」として呼ばれるようになったそうです。
武蔵野台地の丘陵地帯を含むを東京には「坂」が無数にあり、それぞれ名称がつけれていて、それぞれの名に因む伝承や物語が残っていてとても面白く思いますが、同時にそこに突っ込んでいくと泥沼にはまってしまいそうです。
この記事も、もはや話が御朱印から離れた沼にはまってしまっています。
▼神社境内には「一体どこから入ってきたのだろうか?」と疑問を持たされる車が止まっていました。
当ブログは車での神社の境内入口が見つからず「山手通り」の内側の有料駐車場に止めて歩きました。
狭小な東京の寺社でもほとんどが境内や近くに駐車場を設けています。
その入口がすぐ見つからない時はグルリと寺社周りをゆっくり走ってみます。
左折して入りやすいように左回り、反時計回りに走って入口を探すことが多いのですが、この時は神社回りを2周しても見つかりませんでした。
帰り際にわかったことですが、坂下からの左回りでは有料駐車場のカンバンだけが目立って「氷川神社参道」の案内は木に隠れて見えなかったのです。
▼右回りに、時計回りに走っていればすぐ気づけたはずでした。
30分300円か400円の駐車料金でしたが、この入口を見つけれていれば境内に無料で駐められたはずで、ボンビーはちょっと悔しい思いがします。
▼さて徒歩で境内下の東側にある鳥居から神社に入ります。
▼多きな木を脇にした参道はとっても良い雰囲気です。しかし何の木か分かりません。
▼こういう参道を進むと、振り返りたくなる衝動は止められません。
▼参道取っ付きの石段に下小さな池と石碑がありました。
「氷川の滝」という案内がありました。
「都内七瀑布」という大げさな括りがあって、そのうちの一つに数えられています。
台地のはずれにあって、かつては豊富な湧き水に涼を求めてたくさんの人々が憩おったそうです。
滝というより、現代に置き換えると子供たちが水遊びできる公園の噴水とか、親水公園のような感覚だったのでしょう。
当時も湧き水や滝とともに神社は常に人々が集う場所だったのです。
▼右端は石碑と思いきや「鉄砲石」と言われるものでした。
幕末に射撃練習用の的に使用された石だそうです。中央の石が剥がれた部分が命中箇所のようです。弾痕のほとんどは中央に寄っていて、端にはないので練習しなくとも良いような人の的だったかもしれません。
▼参道突き当たり、境内へ上がる石段は途中で右に折れます。
▼石段は白く古さは感じませんが、途中に立つ狛犬は黒ずんでいます。
左右とも子獅子を抱えて、みんなとってもイイ表情をしています。
▼90°右にターンします。
▼石段上の「手水舎」に水は流れていたものの柄杓はない姿にすっかり慣らされてしまったことが悲しい。
▼もと桐ヶ谷村の冰川神社の創建は、元禄年間以前ということ以上はわからないそうです。
明治期に村内近隣の神社四柱を合祀して現在に至っています。
▼社殿は昭和の造りですが、木造ですので味のある趣さを深めています。
▼主祭神の「素盞嗚尊」にご挨拶申しあげます。
▼社殿右手奥に参道が伸び、鳥居が立ちます。
唯一の境内社のようです。
朱の鳥居もなく幟もありませんが、狐クンが頑張っていたので稲荷社と分かりました。
「保食神」は「ホショクシン」ではなく「うけもちのかみ」と読み、日本神話では「食物をつかさどる女神」とされているそうです。
いろんな神様がいるもので、まさに「八百万の神」です。
訪問時は他の参拝者に出会わず、ちょっと寂しく感じた神社でしたが、
それだけではなく「のぼり」が1本も無かったのも寂しさを感じた原因だったかもしれません。