一之宮貫前神社の御朱印
「いちのみや ぬらさき じんじゃ」(群馬県富岡市一ノ宮1535)
「上野国一之宮」である「一之宮貫前神社」はどちらかと言えば難読です。
その神社名の筆書きは、とてつもなく切れ味の良い、ハードでスタイリッシュな筆跡に驚くばかりです。
▼墨書きされた神社名だけにしてみました。
切れ味がある筆書きの細部が失われてしまいましたが、いくらか硬な気持ちの良い筆跡に感じます。
いずれにしても神社の事前知識がないと「一之宮貫前神社」とはきちんと読み取れないかもしれません。
しかし上信電鉄は、始発の「高崎駅」から「上州一ノ宮駅」まで45分だそうです。
車で訪問しても、あまり便利とは言えない高速道路、幹線道路から外れています。
江戸時代に整備された中山道の宿場、松井田宿と安中宿とも少し南に外れています。
一之宮が成立した頃の11世紀、参拝しようとする国司はどんなルートを辿って訪れたのでしょうか?
▼カーナビに頼ると、いきなり「総門」前に導かれますが、県道の「下仁田街道」から北へ参道が伸びています。
▼車で参道の坂を登り詰めると駐車場になっています。
▼駐車場からさらに左手の坂を登ると朱塗りの「大鳥居」が建ち、その先にも駐車場があります。
前方に一宮の街並みが広がっていますが、ここの標高は216mほど。
先ほどの参道入り口からは20〜30mくらいの高低差です。
▼大鳥居の先に「総門」が構えられています。
▼「総門」にして朱と金の塗りとなっているので、この先の雅さ、華麗さが想像できるような気がします。
▼総門をくぐると今度は石段が下っています。7〜8mほど下がることになります。
石段を下って、いわゆる「くだり参道」からの参拝となり、このスタイルは「下り宮」「下り参りの宮」と呼ぶそうです。
また「日本三大下り宮」に数えられています。
ちなみに他の二社は熊本の「草部吉見神社」、宮崎の「鵜戸神宮」だそうです。
度々疑問に思うのですが、この「日本三大・・・」は誰がどのように決めるのでしょうか?
たしかにこの種のランキングがあれば、制覇したい気持ちがかき立てられたり、行動基準となったりで便利な場合もありますが。
▼「楼門」をはじめ「拝殿」「本殿」は重文に指定されています。
創建は531年とされ、式内社(名神大社)、旧社格は国幣中社、神社本庁の別表神社となっています。
▼階段途中に建つ「月読社」と「手水舎」。
「姫大神(ひめおおかみ)」は、不詳ながら養蚕機織の神とも言われているそうです。
現存する本殿は家光の命により再建されたそうです。拝殿も同時期のものとか。
▼いかにも家光好みの極彩色で華麗を極めています。(▼写真は「一之宮貫前神社」)
その後、綱吉により大規模な修理をはじめ、解体修理等数々の手が加えられ現在に至っているそうです。
▼「神楽殿」は地味な色相の建物ですが、千社札が満開となっていました。
山の中の千年以上の森に囲まれ、谷底のような地形に建つ神社は、1500年の歳月をまるでヒッソリと息を詰めてやり過ごしてきたかのように感じられました。
予定時間がなく摂末社が集まる区画などは見ることができず、ぜひ再訪したい神社の一つになっています。