▼武蔵二宮 金鑽神社の御朱印。(埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮750)
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▼JR「本庄駅」「丹荘駅」などからバスが出ているようですが、バス停からも20分ほどだそうで、ここは車でないと訪問しづらい神社です。
▼車で走っていると、まだ寄居ですが山が深く迫ってきます。
目的の神川町の神社はもっと北へ、ほとんど藤岡市に近く、埼玉県の最北に鎮座します。
▼「かなさなじんじゃ」は武蔵国二宮。
武蔵国一宮が大宮の「氷川神社」ですので、70kmほどの隔たりがあります。
ここ金鑽神社はさらに深い森の中に鎮座します。
森の中というより山麓鎮座するとういうのが正確かもしれません。
というのも神社の背後にある350mほどの「御獄山」を御神体とするからです。
富士山をはじめ日本の山々は御神体であり、霊山であり、神々だらけです。
古代から人々は山の恵みを得れば山を敬う、海や田も同じように向き合ってきたという国民性を改めて思い知らされます。
▼社殿までの長い参道の途中にある二之鳥居周辺はとても美しく、神秘的な雰囲気も持っています。春になればサクラ咲く並木となります。
▼参道右手に塔が木立の中に見えます。
国の重文に指定されている1534年建立の「多宝塔」でした。
「多宝塔」は仏塔ですので、当然ここも神仏習合だったのでしょう。
神社に建つ多宝塔は、同じく重文である愛知県の「知立神社」を思い出しました。
▼500年の風格と「老い」も感じさせられる塔です。
▼清々しく感じられる参道を気持ちよくさらに進みます。
▼「義家橋」の先は三つ目の鳥居です。
平安時代末期の「前九年の役」に出陣した源義家がこの地に戦勝祈願し、橋を架けたとたと伝わります。
▼鳥居、注連縄、塀が結界を示すようです。
▼拝殿は緑深い山を背にして建ち、石段周辺にも苔が目立ち、陽も届かない森の深さを表しています。
この日は七五三も近く、幼い子供たちと共にお祝いの参拝にやってくる家族が大勢見うけられました。
金鑽神社の主祭神は「天照大神(あまてらすおおかみ」「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」、さらに日本武尊 (やまとたけるのみこと)を祀ります。
したがって金鑽神社の創祀は神話の世界になりますが、9世紀には書物にはっきり記されているそうです。
そして理解が難しい神社名は、
当地域周辺では砂鉄が産出され、その採鉱・製鉄集団によって祀られたのが当社の創祀とされていることから、
「金砂(かなさな)」が神社名の語源ではないかとされる説もあるそうです。
▼拝殿の奥は「中門」があり、その先は山の斜面で、本殿はありません。
背後の山そのもを御神体として本殿を設けない神社です。
長野の「諏訪大社」もこのスタイルでした。
ほかにもあったように思いますが記憶は蘇りません
▼神楽殿も高い木立の中に建ちます。
▼境内にある社の名称は20近くになります。
▼境内奥までやってくると様々な石碑が建ちます。
▼若き「日本武尊」像に「ソレ、登れ!」と、けしかけられます。
▼しかし、時間もなければ、山道のシンドサも避けたい・・・
と思ったものの、年配のご夫婦らしきお二人がスタスタと歩みを進めるのを見て、負けて入られません。
▼とは言え今回は神々しい「鏡岩」まで何とかやってきたのが時間的にも限界でした。
「奥宮」「見晴台」などへは、あとほんの僅かでしたが、足を延ばすのは次の機会にとっておく事にします。
神々の存在を身近に感じることの少ない本ブログですが、
その数少ない神の存在を感じる神社が、また一つ増えました。
▼金鑽神社のお隣、元別当の記事。