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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

品川貴船神社の御朱印(東京・品川区)〜変わりゆく大崎の南に 変わらぬ地域の鎮守

品川貴船神社御朱印

しながわ きふね じんじゃ主祭神:貴布裲大明神(東京都品川区西品川3-16-31)

 

品川貴船神社御朱印です。

御朱印ベースに水神である龍神がデザインされています。

右上の特徴的な書体の文字は「和銅弐年創建」。

左上の馬のような印は何かと思いましたが、よく見ると「アマビエ」でした。

 

社務所での御朱印案内。

御朱印は社殿右手にある社務所窓口でいただきました。

 

▼当社へは山手線の駅でも知名度の低い「大崎駅」から徒歩10分以内です。

神社の鎮座する住所は「西品川」ですが、大崎駅の方が近く、品川駅からは離れているので品川というイメージとは結び付けにくい位置にあります。

そして神社の西、「西品川」のさらに西は「戸越」になります。

一帯のその昔は「三ツ木」と呼ばれる村でした。

その名称は神社に隣接する小学校などに残り見られます。

 

▼大崎駅周辺と神社周辺では高低差が15mほどあるので、車ですと幹線道路から住宅街の細道を登るように進むことになります。

▼そんな地域では人々の駐車場の確保も困難で、こんな涙ぐましい努力の様子も見られます。

▼北方向を見上げればタワマンがニョッキリです。

▼そんな住宅街の細い道路を不安気にクネクネ曲がり進みますが、ここまでくればもう安心。車の左右をぶつけないように、ここを右折して境内に進入です。

▼参道の脇が駐車場となっている場所に出られます。

もしかしたら月極めの駐車場かもしれませんが、空いていて短時間の参拝なら問題ないでしょう。

▼先ほどの進入路の先に進むと、ここからでも境内に入れます。

ここを入ってしまうとまさに社殿前の境内。参道脇の駐車場とは車では行き来できませんが、数台は駐められるスペースがあります。

参拝者の歩行の妨げにならなければ駐車してもお叱りはないでしょう。

 

▼神社の正面入口は南側にあり、石造りの「一ノ鳥居」が建ちます。

▼鳥居の扁額は「貴舩神社」と刻まれています。

▼社号標は「貴船神社」。

▼社号標の脇に存在感たっぷりに建つ、膨よかな像は布袋でした。格差ある大小三体。

説明板によれば「国際自動車」の創始者である波多野元二が社屋に造り祀っていたものが、ここに移されてきたそうです。

成功者や力あるものは自社の屋上や敷地内に稲荷社などを造立し、成功の継続やさらなる高みを祈ったのでしょう。

国際自動車」の場合は稲荷社ではなく布袋さんだったわけです。

 

▼一ノ鳥居のすぐ先に現代型の狛犬が一対。こちらはトボけた表情。

▼阿形は口を開けて迫力を見せているものの、どこか愛嬌を感じます。

▼車を駐めさせていただいた駐車場と参道が平行して長く延びます。

▼「ニノ鳥居」です。

▼「由緒書き」です。その内容は・・・

当社は元明天皇の御代和銅2年9月藤原伊勢人の勧請に依り創建せられ、当地方最古のお宮であります。
御神威は古来より誠に広く深く、品川(旧三ツ木村)の鎮守として氏子の崇敬厚く昔から信仰の中心として永く栄えて参りました。
御社殿は昭和20念5月戦災を蒙りましたが、西品川氏子六地区の崇敬奉賛の熱意により再建せられました。

引用の実際は、算用数字が漢数字、旧字が使われて書かれていました。

和銅2年」は709年ですので、1300年以上前の古社ということになります。

都会にある古社は様々な変遷をたどることも珍しくありません。

そして年月の経過とともに、その詳細がアヤフヤになっていくのが当然です。

創建の1300年前から現在のこの地に鎮座していたのかさえアヤフヤでしょう。

創建後に呼ばれていた「貴布裲大明神」は、1803年に現社名に改称されています。

▼社殿前の手水舎の水は枯れていました。

▼社殿の後方はタワーマンション。東京ならではの社寺の景色です。

空襲で失われた社殿は昭和になって再建されたコンクリート製。

▼祭神の高龗神、素盞嗚尊に二拍手します。

▼細い道路に出て境内の北側から見た本殿。

境内社は社殿左手にまとめられていて「三木稲荷」は90度の角度で鳥居が2基建っています。

▼こちらが正面。

▼「三ツ木稲荷神社」のほかに「大山祇社」「満潮宮」が合祀されています。

満潮宮」というのはなんでしょう? かつてのこの地は江戸湾にもっと近かったでしょうから、そんな海との関連でしょうか?

▼年月のせいか、石材のせいか神狐たちは相当傷ついています。

境内社にしては立派な社殿も昭和の再建。

▼稲荷神社の脇に「祖霊社」。

▼祖霊社の脇に観音菩薩梵字と「西 めくろ」の道標。「めくろ」は目黒でしょう。

▼道標は文政年間の「観世音菩薩供養道標」であることの説明がありました。

▼「右 南品川」と「左 北品川」。

詳細な地図などなかった時代、かつては人々の往来の多かった道に建てられたのでしょう。

▼何代目かの宮司さんによる歌碑のようです。

▼オープンなスタイルの神輿庫は内部がよく観察できます。

▼撮影はガラス反射していますが、精密な立派な神輿が覗けました。

 

1300年の歴史を持つ神社の現在は、地域の鎮守として氏子たちの崇敬を集めている様子が伺えました。

 

貴船神社から500〜600mの地に鎮座する神社の記事。


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