▼金鑽山 大光普照寺「金鑽大師」の御朱印です。
最初は中央の墨文字が読めませんでした。
最初の2文字は「生身」でした。納得!
中央の印は「大光普照」。
寺の名称ですが、「大きな光が普く照らす」というような意味でしょうが、
名称だけ目にしても、まさに天台宗の寺だということが予想できます。
左下の印は「金鑽山?印」でしょうか? 分かりません!
▼「納経料(御朱印)金三〇〇円」の案内。
朱印帳に揮毫いただいています。
2020年のコロナ禍で、直書きいただき、オマケに300円。
ナミダ 出ます!
ありがとうございました。
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▼隣接する金鑽神社へのアクセスも同じですが、寺の周辺に駅はありません。
直近のバス停からも徒歩10数分の距離があります。
金鑽神社ともども、車での訪問以外は苦しいアクセスになります。
▼国道462号沿いに「山門」を構えます。
▼山門は、車で走っていても見逃すことのない威容を誇示しています。
▼オマケに道路沿いにこの看板。少しハゲていますが、わかりやすい!
美しい植栽から寺の姿勢が見えてきます。
稀にその判断は間違うこともありますが・・。ここは見た目通りでした。
▼駐車場からの進路も美しく眩しい植栽が輝いています。
▼格調高く凛々しい「黒門」です。
山門も黒門も「サビ」は見つけられませんので、造りは新しいのでしょう。
▼「水屋」は時代物です。
頭でっかちの造りは手が込んでいます。彫刻も金網で守られていました。
UPで撮影するのを忘れました。不覚!
▼その隣の「イネムリ小僧」をUPで撮ってどうする?
▼朱塗りの「鐘楼堂」も10月の晴天の下で孤高に光ります。
補色関係が、ギラつかず、イヤミに感じないのはなぜでしょう?
「慈恵大師」=「元三大師」を祀る寺は飛鳥時代、聖徳太子の創建と伝わります。
しかし、多くの歴史ある寺と同様、火災により1400年近く前の堂宇を失っています。
残念なことで、再建された伽藍が現代的な建築に見えるのは致し方ありません。
▼それでも「本堂・照隅殿」の内部の造りは、当時の寺の隆盛を彷彿させます。
御朱印をいただき始めて1、2年経過し、
いや、そこまでの時間を経なくてもカンの良い人は、
「金鑽山」「金鑽大師」「金鑽神社」という文字を目にして、
神社と寺の地理的位置も考えれば、
明治以前は「金鑽大師」「金鑽神社」が一緒だったことが理解できるでしょう。
この寺は金鑽神社の「別当寺」でした。
明治政府は「神仏分離」というメンドーくさく、意味ないことを施策したのですが、
そのおかげで御朱印収集者にとっては神社と寺で
「別々の二つの御朱印をいただけている」と言うこともできます。
今も神仏が同じ敷地内、同じ名称の地にいらしたら、人々は
もっと分かりやすく、もっと親しめ、もっと素朴でいられたかもしれません。
何が正解はわかりませんが、現在ある姿、カタチを受け入れざるを得ず、
単純に受け入れた方がラクなのでしょう。
隣接する金鑽神社の神々しく、いくらかジメッとした雰囲気とは異なり、
金鑽大師は目一杯 アカルく、スバラシー寺でした。
ハイ! 元は同世帯、セットで参拝しましょう!
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