龍池山 玄國寺の御朱印
朱印帳に見開きで直書きいただけました。
余分な色を使わず、媚びるイラストも用いず、墨朱だけで見せる見事な御朱印でした。
▼玄國寺 「豊島第七十二番」本尊「無量寿(阿弥陀仏)」の御朱印。
「豊島八十八ヶ所霊場」の第72札所の御朱印ということでしょうが、
もう一つ似たような名称で「北豊島三十三観音霊場」があります。
どちらも積極的に巡ったことはなく、88と33の寺院が霊場として全て「生きて」いるかどうかわかりません。
御朱印をいただく機会があって、結果的に各々の霊場だったことを知ることがほとんどです。
▼玄國寺 「弁財天」の御朱印。境内にある「弁天堂」の御朱印です。
▼御朱印をいただいた庫裏ではサンプルが案内されていました。
▼籠の中にたくさんあった爪楊枝を包んだ折り紙。2ついただいてきました。
たしか、御朱印を対応いただいた大黒さまと、信徒さんの手作りによるものだとお聞きしました。透明袋に入れてあり、出来栄えはもうほとんど商品状態でした。
▼そして菩薩たちが幻想的に誘惑的にヒラヒラと舞う。
コロナ禍だからでしょうか?
その右に、禍を取り除いてくれるという「光明真言」が掲げられていました。
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばら はらばりたや うん」
無理です。覚えられません。
▼玄国寺は新宿「諏訪神社」に隣接しています。
東京近郊に住む御朱印収集者なら、新宿諏訪神社は誰もがご存知でしょう。
寺が諏訪神社に隣接しているのは別当寺だったということを表しています。
▼既視感を覚えるこの門構えは、記憶は数多くあって大混乱。
▼しかし周辺は掃き清められ、他と違うのはカンペキに美しい姿です。
▼門前に置かれた蓮の大きな鉢も、手入や移動など努力しないと人に見せられません。
▼似たような山門でも「ここは少し記憶に残るでしょう!」と地蔵の声。
ハイ! 確かに。
▼未だ漠然としか理解できていない、庚申塚もいくつかが門前に並びます。
▼寺は1601年、諏訪神社の別当寺として開山されたと伝わります。
▼木立の陰になってよく見えませんが庫裏です。
岩倉具視の邸宅だったものの一部を大正末期に移築したものだそうです。
▼本堂への階段下に水晶らしい石もありました。
▼チリひとつない庭は緑がとっても気持ちよく、住んでみたくなるような佇まいです。
当然、プロの庭師による手入れかもしれませんが、気持ちや余裕がなければそれもかないません。
庫裏の爪楊枝を包んだ折り紙とともに、ご就職や大黒さんのセンスが伺い知れます。
▼六角堂は「弁天堂」です。
境内碑文の引用です。
寺宝一顆あり。安産與楽の玉と称す。北条遠江守時政の子相模守義時の妻難産のおり江の島弁財天に参籠して感得し、その加護によって安産あり。また、その玉、密々御本丸に用としてしばしば奉る。縁ありて当寺に寄附される。
ここの弁財天は碑文にある弁財天と関連があるのでしょうか?
「六角」というのは仏教的に何か意味があるのでしょうか?
ボルトの頭も六角ですが、関係ないでしょうね!
▼それにしてもホントに気持ちの良い庭です。木々の「森感」のバランスが最高です。
いつまでも見ていたい思いが止まりません。
▼「雀にも 好きな枝あり 夏木立」虚子 と彫られています。
▼さて、カエりましょうかね!
▼隣接する諏訪神社の記事。