▼直書きいただいた瀬戸神社の御朱印です。
「嶌」の文字は違うかな?
▼同じく2014年の瀬戸神社の御朱印。
▼瀬戸神社摂社になる琵琶島神社の御朱印。
2021年の2種類の御朱印は1人の女性の筆によるものです。
達筆な方はどんな書体でもこなしてしまうのでしょうか?
▼社務所内には大きな額がいくつも展示されています。
▼御朱印にスタンプされていた「三嶌大明神」「正一位 大山積神宮」の額です。
瀬戸神社は「瀬戸三島明神」とも呼ばれ、1180年、源頼朝が伊豆で挙兵した際に加護をもらった「伊豆三島明神」をこの地に勧請し、社殿を建立しのが始まりだそうです。
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▼「瀬戸神社」は京急線「金沢八景駅」からすぐの場所に鎮座です。
▼駅名ではなく景勝地としての「金沢八景」の一つで「瀬戸秋月」を広重が描いています。(写真は【wiki】)
▼現在、同じような風景を探そうとしてもムリで、こんな位置が最も近いかも。
▼瀬戸神社から国道16号を挟んで「平潟湾」に突き出た島があります。
▼この「琵琶島」で、現在では毎年秋に「瀬戸秋月祭」が催されるそうです。
写真は 【タウンニュース】
▼江戸市民の観光も盛んだった、かつての入江と神社周辺の湾岸、海の様子は島も点在し、確かに風光明媚だったのでしょう。
▼その「琵琶島」に建つ、瀬戸神社の摂社「琵琶島神社」から参拝してみます。
▼「福石」は源頼朝が瀬戸神社参拝の際、平潟湾で禊をした時に衣服を掛けた石なので「呉服石」「服石」とも呼ばれていたそうです。
時勢により「福石」とされたのでしょう。
▼琵琶島は参道で繋がった平潟湾に突き出た半島のように思いましたが、神橋が架かるので立派な「島」と言えます。
琵琶島神社は「金沢七福神」の「弁財天」を担っています。
神社は北条政子が信仰する「琵琶湖」の「竹生島弁財天」を勧請して、海中に島を築いて創建したと伝えられています。
年代と創建意図が少し異なるのでしょうが、上野不忍池弁財天と近いものがあります。
▼対岸の瀬戸橋近く、「弁財天」にあやかった屋号は釣り船屋さんのようです。
▼本社である「瀬戸神社」に向かいます。
▼「琵琶島神社」の参道正面先が「瀬戸神社」の鳥居になっています。
▼神社前の国道16号は交通量が多く、千葉から東京を遠巻きにグルッと回って、三浦半島の走水神社近くまで延びています。
駅に近いせいもあるのでしょうが、参拝者が絶えません。
▼境内で何やら「植木市」のようなものが開かれていました。
▼神社は鬱蒼とした社叢を背負っています。
▼柄杓のないニューノーマルな手水舎は、可憐な花々で飾られています。
▼同じくニューノーマルになってしまいそうな特大のマスク姿のコマ。
マスク柄はセンスが良いですね。
主祭神は頼朝が三島大社から勧請していますので「大山祇命(おおやまつみのみこと)」で、「大山祇神」とも表します。
▼拝殿から本殿がしっかり見える美しい社殿です。
▼「植木市」のせいで、普段からの植栽と区別がつきません。
▼「右末社」に熱心に祈りを続けている女子。邪魔しないようにします。
▼社殿右手にも境内社が並んでいいます。
▼「右末社」があったかと思うと、こちらは「左末社」。ちょっと不思議な名称です。
▼小さな祠が続きます。
▼こちらは「青麻社」。
▼さらに「祖霊社」。
鎌倉時代後期は、いわゆる「鎌倉」の範囲も「六浦」あたりまで広がっています。
▼そんな影響でしょうか、断層の下に鎌倉特有の「やぐら」です。
▼「やぐら」は稲荷社になっていました。
八景の名残りと、在りし日の頼朝、北条政子の姿を追ってみた神社でした。