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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

杉山神社の御朱印(横浜・南区)〜謎多き 数多き「杉山」の一社は 元 海沿いにあった

杉山神社御朱印

すぎやま じんじゃ主祭神市杵島姫命(神奈川県横浜市南区宮元町3-48)

 

杉山神社御朱印です。

これぞ御朱印というような、簡潔で潔い神社印と墨書きの構成になっています。

こういう御朱印を書置きではなく、直書きいただけるのはありがたいことです。

 

横浜には「杉山神社」がたくさんあります。

それらと区別するため

当社は「宮元町 杉山神社」「蒔田 杉山神社」などと呼ばれることもあります。

 

御朱印は境内左手奥の社務所で丁寧な対応をいただきました。

社務所はまだ新しいのか、内部は清潔できれいに整えられていました。

 

杉山神社は地下鉄「蒔田駅」の隣と言っていいい位置に鎮座します。

▼神社から20mほどのところに地下鉄の駅。

▼前の道路は「鎌倉街道」。この写真、何か気になるのですが・・・

▼それは地下鉄の入口よりファミマの店舗間口の方が小さいことでした。

店舗内には入っていないので奥行きは分かりませんが、この間口の狭さは他のファミマやコンビニでは見たことがありません。

間口は、ほぼ一間幅となるでしょう。恐るべき店舗です。

おそらく奥は深く、鰻の寝床状態なのでしょう。

 

大阪には「日本で一番小さなファミリーマート」の看板を掲げた店舗が駅のホームにあったそうですが、その小ささは2m四方。しかし2022年に閉店しているそうです。

 

ファミマは最近「マイクロコンビニ」という売店スタイルの小さな店舗を多くの工場や病院などの施設の一画に出店しているそうです。

日本国中、飽和状態に展開されているコンビニの行き先のようにも思われます。

ですので、現在はさらに間口の狭いファミマがあるかもしれません。

 

▼神社前には「横浜市営地下鉄 第1号車両搬入の地」という案内板もあります。

鎌倉街道の反対側から神社全体を眺めてみました。

横浜の中ほどの賑やかな内陸部にある杉山神社ですが、

▼明治時代はこんな様子で海浜に鎮座していたそうです。(▼写真は由緒書きから)

明治のこの写真には松らしき巨木と鳥居は見えますが、社殿は確認できません。

何れにしても現在の神社周辺からは全く想像できない風景です。

記事冒頭で、横浜には「杉山神社」がたくさんあると書きましたが、

横浜中央部から北西部の多摩川の右岸までの地域に44社あり、そのうち横浜市内には35社鎮座するそうです。

続日本後紀」や「延喜式神名帳」には当社名が見られ、

蔵国都筑郡唯一の式内社」とも記されているそうですが、その本社は特定できず、祭神も特定できないという謎の多い神社です。

当社のはじめは「杉山弁財天」と称していたそうです。

以下、由緒からの引用です。

承元3年(西暦1209年)源頼朝の三男 貞暁法印(俗に鎌倉法印という)が、鎌倉幕府の鬼門鎮護のため伊豆国土肥の杉山から勧請し市杵島姫命を鎮座創建した。

謎の多い古社という訳ですが、神社にかかわらず、古ければ古いほどその正体は不詳ということになります。

▼近所にお住まいなのでしょう、オバァちゃんが参拝されていました。

そんな光景を見ていると地域に根付いた鎮守であることを感じさせられます。

昭和に再建されたの社殿はコンクリート製とはいえ、立派な造りになっています。

主祭神市杵島姫命、天照皇大神、宇賀御魂命の三柱。

▼本殿は奥まっていて、二層の屋根が確認できるだけで詳細は見えません。

▼神社敷地の一部が幼稚園に利用されていて、平日は園児たちの賑やかな声が響いているのでしょう。

▼子供たちにとってのアンパンマンは、不滅の「祭神」かもしれません。

 

▼当地がかつては海、入り江だったことはこの記事にも。

wave2017.hatenablog.com

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