▼長興山 妙本寺の御首題です。(神奈川県鎌倉市大町1-15-1)
右上の印「宗祖初転法輪霊場(しゅうそしょてんぽうりんれいじょう)」とは、
「初めて仏教の教義(法輪)を人びとに説く事」のようです。
また、山号は長興山、寺号は妙本寺とされていますが、
「日蓮宗三長三本」の1寺で、
妙本寺の他は、東京池上の「長栄山 本門寺」、千葉松戸の「長谷山 本土寺」だそうです。
まったくうまく出来ていますが、意図的な名称なのか、偶然なのかよく分かりません。
▼御首題・御朱印は「寺務所」でいただけます。
▼2021年の訪問時は「書き置き」の案内になっていました。
掲載の御首題の日付は2013年です。
今回はいただくのを遠慮しましょう。またの機会にします。
何しろ手元に整理しきれていない書置きがたまり過ぎています。
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▼寺の住所は「大町」になっていますが、ここは通称「比企谷(ひきがやつ)」という谷戸です。
妙本寺は鎌倉時代、頼朝の有力御家人だった比企員一族の屋敷跡に建ちます。
ですから広い。寺の敷地がどこから、どこまでか分かりません。
▼滑川に架かる小町大路の「夷堂橋」のたもとに題目塔が建ちます。
妙本寺の文字の下は「唱題随喜?」5文字目は読めません。「衆」か「界」でしょうか?
ちなみに「題目塔」は鎮魂のための供養塔です。
▼題目塔の少し先に「総門」です。
▼総門脇に「比企能員邸址(ひきよしかずていあと)」の石碑が建ちます。
大正時代の石碑ですが、漢字とカタカナの組み合わせは全く読みにくい。
▼総門をくぐると右手に目立つ建物があります。
寺の建物かと見まがいますが、妙本寺の支院があった地に建てられた「比企谷幼稚園」の夢殿を模した八角形の建物でした。
▼総門からまっすぐ延びる参道を進まず、脇にある「方丈門」を潜ります。
▼もう少し時期が遅いとアジサイが見事に満開となるでしょう。
▼妙本寺へは3回目の訪問ですが、この石段が一番好きな場所です。
要するに石段が好きなのですが、周囲の樹木と、石段の幅、傾斜のバランスがなんとも心地良いのです。
▼石段の先に「本堂」屋根が見えてきます。
▼石段を登りきった左手が「書院・寺務所」。御首題などはここでいただきます。
▼その先が「本堂」。
▼総門から真っ直ぐに歩くと杉木立ちの参道先は、やはり石段になっています。
▼ジャンケンで戯れるカップルを追い越せば「二天門」です。
ベンガラ色の二天門は1840年の棟札があるそうです。
▼龍の彫刻が極彩色を放っています。
妙本寺の由緒によると、日蓮聖人を開山に仰ぐ、1260年創建の日蓮宗最古の寺院。
開基は、比企能員の末子で、順徳天皇に仕えた儒学者比企大学三郎能本だそうです。
1260年の創建から遡って1203年に「比企能員の変」または「比企の乱」と呼ばれる鎌倉幕府の政変が起こっています。
1203年、鎌倉幕府二代将軍 頼家が病に倒れると、三代目将軍を巡って、
頼家の外戚 比企能員と、北条政子の外戚から一御家人の立場に転落していた北条時政が対立し、争いが起こります。
能員は頼家と北条氏討伐を謀りますが察知され、名越で殺害されています。
さらに比企一族は、ここ比企谷に篭って北条氏らの軍勢と戦うも敗れ、屋敷に火を放って自害。比企一族の滅亡です。
京都にいて唯一人生き残ったのが比企能員の末子 能本でした。
約半世紀後、能本は比企一族の菩提を弔うため、自分の屋敷を日蓮聖人に献上して妙本寺が起こっています。
その政変で二代将軍 頼家は政子の命により出家、のちに修善寺に追放されて、23歳(満21歳)の若さで北条氏の手兵によって殺害されています。
頼家の子 一幡(いちまん)も北条の手によって殺害されています。
二代目将軍 頼家の亡き後、弟の実朝が三代将軍となりますが、
1219年、実朝は頼家の子公暁(くぎょう)に八幡宮で暗殺されることになります。
その公暁自身も直後に討ち取られていますので、この時点で源氏将軍、河内源氏棟梁の血筋は断絶することにりました。
頼朝は1199年に亡くなっていますので、死後20年間、血みどろの争いの中で血筋が耐えたことになります。
▼鎌倉でも最大規模の「祖師堂」は天保年間に建立されたものです。
同じ6月の祖師堂の写真ですが、▲上は2021年、▼下は2013年の撮影。
日蓮聖人、日朗聖人、日輪聖人が祀られています。
▼一番奥が比企一族の墓でした。
▼「一幡之君袖塚(いちまんのきみそでづか)」。
「比企能員の変」で頼家の側室讃岐局は池に身を投げ、その子供一幡も僅か6歳で命を終えさせられ、焼け跡に残った一幡の小袖を供養するため建てられた塚です。
政変から800年、鎌倉幕府滅亡から700年、鎌倉武士たちの悲喜こもごもの歴史が詰まった比企の谷を後にします。