▼青木山 本覚寺の御朱印。(曹洞宗・神奈川県横浜市神奈川区高島台)
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▼本覚寺は京浜急行「神奈川駅」から近く、寺の脇は国道1号線や数路線の鉄道が走っています。
「神奈川宿」で賑わった江戸時代も今現在も東海道の大動脈の際に建つ寺院です。
戦国時代は青木城があった場所だそうです。
確かに城を築くに適した小高く周囲を見渡すのに事欠きません。
モクモクと葉を茂らせているのは「スダジイ」。
車で訪問される方は寺の北側に専用駐車場があります。
▼石段を上がると「アメリカ領事館跡」の石碑。
タウンゼント・ハリスは横浜が開港されると、麻布のアメリカ公使館から横浜に移り、
渡船場が近く、横浜の街や港を眼下に望む丘陵に建つ本覚寺をアメリカ領事館としたそうです。
▼「葷酒三門を入るを許さず」「ハイ、ハイ!」
▼開国当時、アメリカ領事館となった本覚寺の山門は白ペンキで塗られたそうです。
ハリスが命じたのかどうか不明ですが、なんとなく気持ちは理解できます。
ハリスが中国人だったら、きっと赤く塗ってしまったことでしょう。
寺は横浜関内に外国人居留地ができるまでの幕末の4年間ほど領事館として機能していたわけですが、
薩摩藩の大名行列に馬に乗ったまま行き交おうとした英国人を「切り捨て御免」。
殺傷された英国人のうち2人が、本覚寺のアメリカ領事館に逃げ込んだそうです。
横浜開港前にはハリスの通訳ヒュースケンが公使館へ戻る際に暗殺され、
公使館であった麻布の善福寺に運ばれ亡くなっています。
切れ味の良い日本刀を振り回す藩士や浪士は、
英国人やアメリカ人の眼には、さぞや恐ろしく野蛮に映ったことでしょう。
ハリスはそんな野蛮な国 日本に辟易していたかもしれませんが、
彼は本覚寺の高台から海を見つめ、その遥か先にある我が故郷が気がかりだったことでしょう。
ハリスは6年間近い日本の滞在期間を終えて1962年に帰国しています。
ちなみにタウンゼント・ハリスは生涯独身で74歳にフロリダで亡くなっています。
本覚寺は山門を除いてほとんどの堂宇を空襲で焼失しています。
この本堂も再建されたものです。
繊細緻密な彫刻が本堂の扉を装飾しています。
▼「旧小机領三十三ヶ所観音霊場」子歳ご開帳の案内ポスターがありました。
「旧小机領三十三ヶ所観音霊場」は意識して巡礼したことはありませんが、
1972年開創された横浜市・川崎市・町田市の寺院で構成されている歴史ある霊場です。
せっかくのご開帳なのに新型コロナウイルスのため、4月19日で閉帳されたそうです。
感染症蔓延がこんなところにも影響されていることに腹立たしさを覚えます。
2019年9月の訪問でした。
数ヶ月後、地球上のすべての人々の生活が脅かされるようになった社会は、
当時は誰一人想像できませんでした。
いま、疫病退散を願う祈祷、お札、あまびえなどは
まるで科学というものが無かった時代に等しいのですが、
人はいつも、化学や科学だけでは解決できないものを多く抱えなければならない、やっかいな生き物のようです。
子安地蔵、子安観音も科学を超えた力を人々に与えてきたかもしれません。
南北戦争で故郷が心配だったハリスが現在に生きていたとしたら、
やはり故郷アメリカの脅威的な感染状況が相当気がかりになる事は間違いありません。
▼「全国塗装業車合同慰霊碑」塗装業? なぜこの寺に?
ハリスが山門を白いペンキで塗装した事に因む縁かもしれません。
涅槃像にも稲荷社にも
いま訪問してお願いする事があるとしたら2019年のそれとは異なることでしょう。
もちろん、お稲荷さんにも地蔵さんにも「疫病退散」を願う事でしょう。