▼大生郷天満宮の御朱印です。(茨城県常総市大生郷町1234)
2013年、笑顔の若い宮司さんに、快く丁寧に対応していただけました。
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茨城県常総市と言われても、どこら辺にあるのか良く分かりません。
東京中心部から50kmほどですので鎌倉より近いのですが、地理的な記憶は曖昧でしかありません。
かつては「水海道市」と呼ばれていたはずですが、それも知識なしです。
2006年に近隣と合併し常総市となったわけですが、どんな地域なのか全く知りませんでしたが、平成前後から「常総学院 野球部」が甲子園出場の常連校になりました。
確か、春夏の甲子園で優勝や準優勝を何度も果たしていたと記憶します。
そんなことから「常総市」という名称を知るようになったのですが、それは野球部の名物監督「木内氏」の貢献が大かもしれません。
もう一つ「常総市」という自治体の知名度が全国区になったのは、不幸なことに2015年の「関東・東北豪雨」でした。
市内を流れる鬼怒川の氾濫で、死者も出て5000棟以上の家が水に浸かったそうです。
暫くは大人しかった川が名前の通り「鬼が怒る川」の暴れ川として目覚めたのです。
▼そんな地域「常総市」に鎮座する「大野天満宮」ですが、豪雨災害の2年前に訪問しています。
2013年は愚かにも天満宮と天神さんは別物と理解していました。
「天満宮」をまったく分かっていなかったのです!
なのに御朱印だけいただいていました。
「無知」はパワー、「知識」はブレーキ!
でした、当時は・・・。
そんな「無知パワー」は、ちょっとしたアクシデントにモロイかもしれません。
車に搭載されていたナビは当たり前に「大生郷天満宮」に案内してくれます。
しかし、表参道ではなく、遅い道路を進む最短距離の裏参道あたりに導かれます。
それは「道真公」の導きがあるのでしょうか?
これ以上進めない細い道をUターンしようとして、草むらに突っ込んでバックしたら車前方で「バキッ! バキッーー!!」と大音量。
周りで畑仕事をしていた2人のお母ぁさんたちをビックリさせてしまいました。
車を降りて状況を確認すると、草むらの中にあった鉄条が埋め込まれたコンクリートの塊に乗り上げてしまったようです。
それをバックしたのですから、車両左前のフェンダーがもげました。
と言ってもフェンダーは幸いなことに「もげ落ちた」わけではなかったので、ヤケクソで蹴飛ばしたら、ほぼ元に収まりました。
その後、同じようなアクシデントが名古屋でもありましたが、やはり蹴飛ばしてほぼ元に収まり、その後、内臓疾患のアテンザは修理することもなく数年乗り続けることができました。
「道真」を恨むべきか、感謝すべきか、当時は微妙な2013年の「大生郷天満宮」でした。