▼寶泉山 玉眞密院「玉川大師」の御朱印です。
(真言宗智山派・東京都世田谷区瀬田四丁目)いただいた御朱印は、上のように本尊名の上に御影を糊付けされて戻されました。
寺の本尊や霊場札所本尊の御影は度々いただくことがあります。
しかし、揮毫いただいた御朱印帳に御影を直接貼るスタイルは、
後にも先にもここ玉川大師が唯一です。
現在もこのスタイルで御朱印が戻されるのかどうか、わかりません。
度々いただく御影ですが、案外その扱いに困ります。
まとめて紙袋に入れたり、透明フォルダーに納めたりしていますが、
今ひとつ整理にはなりません。
そういう意味では玉川大師の貼る方法は、
紛失することもなく、御朱印と本尊御影の関係が明確で、合理的とも思えます。
本来の意味はそんなものではなく、別な意図・意味があるのかもしれません。
とは言え、御影の下がどうなっているのか気になりますし、
スキャンするにも不自由です。
▼バチアタリを覚悟で剥がしてみました。
別に何かが出てくるわけではなく、どうって事ありません。
大きなバチが当たらないように糊付けしてもどしておきましょう。
そう言えば、ある旅行サイトの口コミ欄で
「大事な御朱印帳に御影を糊付けされ、台無しにされました」
と言う書き込みを読んだ事があります。
勘違いも甚だしい事に笑っちゃいました。
--------------------------------------------------------------------------------------
▼省いて呼ぶことが多いのですが「玉眞密院」が正式名称。
禅宗の寺院名が正確には「・・禅寺」とするのと同じなのでしょう。
寺の建立は比較的新しく大正時代。
そして昭和に入ってから御朱印にも書かれている「地下霊場」が造られています。
撮影した写真が本堂前のものがたった1枚だけです。
▼寺のHPから「地下霊場」の写真をお借りしました。 (地下仏遍照金剛殿)
本堂に上がると隅に、地下へつながる階段が掘られています。
「地下霊場」の正式名称は「地下仏遍照金剛殿」とされているので、弘法大師がズラリと並んでいるのでしょうか。
寺側の説明によれば「秘仏大日如来さまの胎内を表わす」そうです。
なにしろ入場していませんので話になりません。
港区の「青山善光寺」にも地下霊場というか、戒壇めぐりがあるそうですが、
パワースポットとしては「玉川大師」の方が有名のようです。
木や石を始め、どこでも、なんでも「パワスポ」です。
お大師さまから「生きる力と幸福が授かられる」そうなので、
力をいただけるという意味では「パワースポット」でいいのでしょうが、
軽薄なイメージに大日如来も苦笑いでしょうが、人気は不動のようです。
何にしても再訪して写真を撮り、地下霊場へも巡ってみなければ、と思っている玉川大師です。
--------------------------------------------------------------------------------------
話をガラッと変えて「二子玉川」です。
「二子」という名称は昔からこの地域にあったそうです。
そして現在の国道246は、江戸時代に人気だった大山詣での「大山街道」ですが、
大正時代までは多摩川を渡る橋がなく「二子の渡し」が利用されていたそうです。
江戸防衛のため橋は滅多に架けられなかったようです。
▼昭和2年にやっと「二子橋」が架けられ、1966年まで「玉電」が橋の上を走っていたのです。 (二子橋 - Wikipedia)
▼遡って明治に開園された「玉川遊園地」は庭園や遊具があり、動物も飼われた他に演芸場もあったそうです。 以下の写真4枚(行楽地となった二子玉川 三井住友トラスト不動産)
▼戦後の1945年に開園された遊園地「二子玉川園」の1972年の写真。
▼同じく券売所は1961年の撮影だそうです。
遊園地の運命は過酷です。1985年に閉園。
その後、小規模なテーマパークになったものの、全て無くなって
▼現在は「二子玉川ライズ」となっています。
デパートの屋上の遊園地から始まり、あの「豊島園」の閉園など、
「園」は殆ど消えていきました。
カタカナ表記のテーマパーク、米国のエンターテイメントパークが全盛の現代ですが、
永い時の中では「遊園地」と同じ運命を辿るのでしょう。
人々にフィクションとストーリーで夢を見させるのには、常に今までに無かったものが絶え間なく必要なのです。
今回はほとんど借り物の写真で構成した記事でした。
「wiki」と「三井住友トラスト不動産」
ありがとうございました。