▼京浜伏見稲荷神社の御朱印です。(神奈川県川崎市中原区新丸子東二丁目)
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▼こんなところにも!という表現は失礼ですが「伏見稲荷神社」があります。
東京から見たら多摩川を越える手前にある「多摩川浅間神社」から見た
「武蔵小杉」に林立する人気のタワマンの足元に建ちます。
武蔵小杉に高層住宅が立ち始めたのは比較的新しい。
もともと川崎の工業地の一画を担っていた工業用地で、全く人気とは縁遠かったのですが、大きな工場が閉鎖や移転した跡地にタワマンや商業施設ができ、新参者ですが人気の街になっています。
何よりもJRと東急が乗り入れる交通至便さが人気の理由の一つともなった街でしょう。
▼大鳥居の前は狭い一通で、住宅と店舗がひしめき合っています。
神社創建は1951年。
大鳥居が建立された1954年は鳥居の前も開けていたことでしょう。
川崎にも単独の「伏見稲荷神社」があるとは思いもよりませんでした。
都内にも根津神社とか日枝神社のほかにも多くの「伏見稲荷神社」があるのは知っていますが、
それらは境内社としての神社ですので、規模も成り立ちも違います。
▼大鳥居から左に回り込んで、南側にある参道に移動しました。
▼石の鳥居をくぐると、この神社一番の眺めに出会いました。
とは言え、少し作り物っぽいケバケバしさは歪めません。
そこは戦後創建の稲荷神社ですので、ニギニギしさはサービスかもしれません。
▼色鮮やか分だけチープに感じる富士山は「霊峰富士遥拝所」としての造営。
▼確かに現実の方位が富士山方面を向いているミニ鳥居です。
▼同時に造られたのか、形こそ違えイメージは同じの「白山遥拝所」。
霊峰白山には登っていませんが、福井の「白山神社」を訪問した時に目にした、
冠雪の白山が輝いていたことを思い出しました。
▼現実の方位は違いますが「ミニチュア白山」の出来は及第としましょう!
▼参道を進んで右手の手水舎で清め、と言いたいのですが「コロナ閉鎖」です。
▼それなりの「お清め」で進んで見える神社の全体像は広くはありません。
広くはない分は、ニギニギしさが補っています。
稲荷神社のニギニギしさはどこも同じですが、戦後に創建された神社は、そこが際立っているように感じます。
▼安倍晴明ではありません。神社を京都伏見から勧請した初代宮司さんだそうです。
▼稲荷神社に欠かせない「千本鳥居」は何本でも構わないのです。
▼まばらな「千本鳥居」の先に、この神社の真骨頂と思われる社が並んでいます。
それぞれ神社名称があり、それぞれ美しくも中規模、小規模な社が続きます。
「本場?」の京都伏見稲荷を訪問していない身にとっては、
何も言葉にできませんが、
同じ関東の「東伏見稲荷神社」とは決定的に違うものがあるように思います。
それが何かを気づくのに少し時間が必要でした。
ここは「土」が見えません。
境内はどこもコンクリートで固められています。
東京近郊にある二つの「京浜伏見」と「東伏見」の違いは、
境内の「地べた」の「土」の有無でした。
どちらが優位と言うつもりはないのですが、参拝者に「それぞれ」の稲荷社、伏見稲荷神社があっていいのでしょう。
そして「キツネ」たちは、渋谷のスクランブル交差点状態で、
自らを誇大にアピールしています。
▼キツネたちの化粧とポーズの狂宴です。マツゲをエクステンションしてます。アイシャドー、キツイ!
「こいつら」は、何てステキな表情をしていることでしょう?
▼なぜなら多くは「憩って」「寝そべって」います。
寝そべろうが、アイシャドーを塗ろうがキツネたちではなく、それはまるで「ヒト」。
▼「ヒト」だけが訳わからなく悩んでいるかのようです。
寝そべっているキツネたちに「カンパイ」 です。
キツネたちの兵馬俑にカンパイ!
再び逢えることに!