瑞鹿山 円覚寺の御朱印
「宝物風入れ」の時期にいただいた
▼同じく「佛日庵」でいただいた「北条時宗公廟」の印。
円覚寺では上記掲載の御朱印のほか、鎌倉地蔵尊霊場第十四番「南無延命地蔵」や、「宝物風入れ」期間中に大方丈で「功徳林」など複数いただけるようです。
鎌倉の寺社にはたくさんの御朱印が待っています。
その数の多い分だけ、人のBLOGも数あります。
だから自分BLOGなど地底深く、深く埋もれてしまうに違いありませんが、
▼今回は鎌倉 円覚寺です。
▼北鎌倉駅周辺もかつては円覚寺の境内だったのでしょう。駅前から始まる石段はいつ訪れても拝観者が絶えません。
鎌倉の寺々のリスペクトは、京都などと比較して拝観料がとても安いことです。
見どころいっぱいの鎌倉五山第二位の円覚寺でも300円の拝観料は格安。
ちょっと前までは300円以上の拝観料は鎌倉には見当たらなかったのですが、ここ1、2年のうちに鎌倉五山第一位の建長寺が500円、長谷寺が400円になってしまいました。
ボンビーにはとっても残念なことですが、観光寺社では800円、1000円が多い中、鎌倉はまだまだUNIQLO価格です。
▼総門を抜けて、もう一つ石段を上がると重量級の三門に圧倒されます。
大きなクライマックスもなく読んでいて退屈だった漱石の小説「門」は、
物理的なこの三門を表しているわけではないでしょうが、
小説内の主人公同様、漱石自身が塔頭の「帰源院」に明治時代の冬に2週間ほど参禅しています。
令和になって、もはや4つ前の時代、明治もはるか遠くになり、
当時の文学も遠くに忘れられそうです。
自分の本が読まれることが少なくなって、漱石が生きていたらモンモンとして患っていた胃潰瘍が悪化することでしょう。
鎌倉の紅葉は12月に入ってからが見頃です。
11月5日の境内や裏山はまだまだ緑で、ところどころの黄葉や気の早いモミジが赤くなっている程度です。
▼建長寺もそうですが、鎌倉時代創建の大きな禅寺は三門から始まる主な伽藍が一直線に配置されています。三門の後方は仏殿になります。
▼創建当時の建築物はすべて焼失していますので、現存の建物は後の世に再建されたものばかりです。どっしりとしたご本尊にご挨拶です。
▼冠を被っていますので「寶冠釈迦如来」。メインの御朱印に書かれる本尊です。
▼この時の訪問は、普段は中に入れないここが目当て。
現在は半数以下となっていて常時公開されている塔頭は「佛日庵」などわずかです。
▼国宝「舎利殿」は正月3が日と「宝物風入れ」の期間だけの公開ですが、外観を拝観するのみで、ここから先は足を踏み入れることはできません。
内部に仏舎利が治められた15世紀の建立ですが、横浜の神奈川県立博物館に内部の原寸復元模型があるそうです。
▼毎日叩かれる木版はハゲてしまっていました。
▼拝観者が多くて落ち着かない舎利殿からこちらへ移動します。ここは100円だけ必要です。
円覚寺はもともと元寇で戦死した人々の供養のために、時の執権北条時宗が建立した禅寺です。
▼「佛日庵」はその時宗を祀る塔頭で「開基廟」と記されています。
私的には円覚寺内で最も美しい建物と感じます。
茅葺が好きなせいでもありますが・・。
人も少なく、境内にはベンチも設けられ一休みするには最適な場所です。
▼「佛日庵」は円覚寺境内の最奥にありますが、さらに奥に進んでみます。
▼左右に非公開の塔頭が見られますが、黄梅院は門を開けています。
▼観音堂です。
普段はこの奥までやってくる人は多くはいません。鎌倉とは思えない静寂のなか雰囲気もあります。
▼三門近くに戻って小高い鐘楼に登ります。「洪鐘(おおがね)」も国宝だそうです。
▼鐘楼の前の「弁天堂」には参拝者がハンパありません。同じ弁天の江ノ島ほどでがないものの、やはり分かりやすい弁天様はみんなに人気です。
▼鐘楼のある高台からは富士山も遠望できました。
国宝に、弁財天に富士、そして我がアタマと正月のようなメデタイ縁起物ばかりが揃いました。