上の御朱印がスタンダードでこちらは「準スタンダード的」な御朱印でしょうか?
「登拝」と「境拝」となっています。御朱印で「境拝」の文字は初めて見ました。
辞書を引いても出てこない言葉でしょう。素晴らしい言葉のセンスはなかなか見上げたものです。
群馬と長野のそれぞれの事物をシルエットにしているのもセンス良く、好感が持てます。
正統派と言える御朱印ですが、右下の八咫烏も3筆で描かれていて見事です。
▼同じく熊野神社の御朱印。こちらは「日本三大熊野」の書き置き。
どちらの受付もとても懇切丁寧でした。
しかし、皇大神社ではワタシの受付の前に、1人の女性が5冊もの御朱印帳の揮毫を依頼していました。
その中年女性ゴシュラーは受付の男性を前にして、預かった御朱印帳の依頼主らしき相手と「前のページは空けておいて、開いて2つ書いてもらうのね?」などと長々電話で相談しながらの受付と対応。
いやはや、5冊かよっ!
過去にこんな場面では2冊でも、その依頼主と請負人は何なのかと思ったけど、今回はオドロキの5冊です。ツアーガイドなみです。
類は友をよび、ルイルイになる。
御朱印を人に頼んでどうする?
人に頼まれて「おかしいぃでしょう」と言えないどころか、嬉々として請け負う?
最早この状況はカンペキに御朱印収集の範疇を逸脱しています。
こんな場面に出会うたびに、自分も同じ収集者である事を恥ることになります。
この場合、女性を避難するより、やはり寺社側が一人一冊を遵守すべきだったと思いました。
皆さんも決して人に「頼まない、頼まれない」ようにしましょう。
最低限のルールの一つでしょう!
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さて本題です。
以前にも書いています。秋になると、紅葉時期になると「何処かに出掛けなければ・・」と強迫観念に追いかけられます。
カネはないけど、ヒマはあります。11月の連休に紅葉を探しに北に向かいます。
久々に長く高速に乗り「松井田妙義IC」で降り、国道18号を信州方面に向かいます。
▼何はともあれ横川の国道沿いの「おぎのや」に寄り「峠の釜飯」を買います。
新幹線ができてから信越本線は横川駅で一旦終点になってしまっています。その先の碓氷峠は軽井沢駅まで新幹線しかありません。
信越本線が新潟駅まで繋がっていた時代、路線内で一番人気の駅弁でした。
現在より、もっともっとスキーが人気だった頃、「峠の釜めし」は列車で出かけるスキー客の御用達でもありました。
▼当時は500〜600円位だったかもしれませんが、今は1,080円でした。
数字は変化しても、その美味しさの変化はないようです。
群馬県側から軽井沢に入る碓氷峠越えは、現在主に4つのルートがあります。
鉄道の「北陸新幹線」、高速の「上信越自動車道」、一般道の「国道18号(碓氷バイパス)」、さらに「旧国道18号(中山道)」の4つです。
碓氷峠に中山道の徒歩ルートはあるのかどうか知りませんが、車で進める道では一番古い「旧国道18号(中山道)」を選びます。
碓氷峠に至る国道18号の「九十九折り」は、99カーブどころか、これでもかと、その倍の184カーブあります。
そんなカーブ数の多い峠越えは、他の峠で走ったことがありません。
▼その峠越えを覚悟した取っ付きにあります。
碓氷第三橋梁、通称「めがね橋」です。長崎の眼鏡橋より雄大です。
かつてはこの橋梁を信越本線の列車が喘ぎながら登って行きました。
列車が喘いで通過した橋梁は、現在はテツちゃんの他に観光バスから降ろされ、坂道を登る元気なジジババの喘ぎ声が聞こえます。
▼ジジババに負けずに喘いでポーズを取りたくなる「めがね橋」でした。
メガネ橋を楽しんだら、ここからが大変です。 184のカーブを体にかかるGと闘いながらドンドン高度を上げて標高960m、高低差550m、10km先の碓氷峠を目指します。
冬の前の木々の黄色い世界を抜けると軽井沢です。
普通、峠はピークがあって、あとは下りになりますが、碓氷峠は下りません。峠まで登って来た高さがそのまま軽井沢の高原になります。
いわゆる片勾配の峠です。ですから昔からトンネルも作れない超難所なのです。
▼軽井沢に入って旧軽銀座を迂回して山側に進むと神社はあります。
▼少し案内板が目立ち過ぎますが、雰囲気の良い神社の入り口です。
▼そして1社殿が2県に跨っているのは確かに珍しく、他に知りません。
▼しかし、やはり案内板が多過ぎて、だんだんと興ざめしてきました。
▼左側、右側、そして←、→の矢印。
まるで繁華街の飲食店の客引きをイメージさせられます。街の隣り合う2件のラーメン店でもここまで露骨ではないように思います。
群馬側も長野側も、御朱印を含めてコレでもかの貼紙案内だらけ。
「熊野皇大神社」と「熊野神社」と名称が少しだけ異なるのも微妙です。
1つの社殿に社務所は別々。
誰にも罪はありませんが、競い合っているかのような部分のみ増幅されて見えてきます。
さまざまなハデさは、繁華街の安っぽい飲食店顔負けです。
競い合いからではないでしょうが、御朱印も「ここまできたか?」と思わされます。
キラキラ御朱印を追い抜き、いかんせん幼児用の絵本じゃあるまいし「飛び出す御朱印」には、ヤマトタケルも予想だにしなかったエスカレートぶりでしょう。
▼「運矢」はガケ下の四角い穴を目掛けます。
競い合うような案内看板さえ控えめなら、とっても雰囲気の良い、見所も多い神社です。
▼気を取り直して、石段からの神社の様子を見ていきます。
勝手に想像していた神社と現実の様相のギャップに呆気にとられ、細かい写真説明の文字を叩く気力を保てませんので、説明抜きです。
神社ブームから御朱印ブームへとなる前までは、とっても静かな神社だったに違いありません。どちらが「良い、悪い」わけではありません。
いい神社です。神社に多くの人々が参拝するようになるのが悪いわけありません。
そんなことは分かっているつもりでも、帰り道の石段を降りる時にはいろいろ考えさせられてしまったことは確かです。