満光山 来迎寺の御朱印
来迎寺は「鎌倉十三仏霊場」でもありますので、上記掲載のほか、本尊 阿弥陀如来の御朱印もいただくことができます。
▼来迎寺の御朱印です(2023年)。「鎌倉二十四地蔵 第二番」
岩を模した台座の上に座していることから「岩上地蔵尊」と呼ばれるそうです
▼来迎寺の御朱印です(2013年)。「鎌倉三十三観音 第五番」
▼御朱印は石段を上った先の左手のリッパな「寺務所」でいただきました。
正面右手に授与口があります。
▼来迎寺は雪の下の北部にあり、鶴岡八幡宮から歩くと10分ほどの時間が必要です。
鎌倉材木座にも同名の「来迎寺」がありますが、当寺は西御門の「来迎寺」になり、時宗の寺院です。
▼寺の住所は「西御門(にしみかど)」。
鎌倉幕府、大倉御所の西門があったことから、西門前を南北に通ずる西御門大路の北方の地域を指しています。
▼金沢街道方面から北へ、ゆる〜い、ゆる〜い坂になっている道を進みました。
▼ガイド板には本尊阿弥陀如来像などの説明があります。
しかし当寺に限らず、また鎌倉に限らず、仏像などの説明はされてはいるものの、普段は公開されていず、訪問者が対面できることはほとんどありません。
もちろん制約はあるものの、当寺でも予約すれば拝観可能ですが、個人一人での訪問では様々な理由から、なかなか難しいのが実情かもしれません。
本来、各霊場をめぐる場合、時間と拝観料などの余裕を持って、それぞれの本尊に合掌すべきでしょう。
▼「太平寺跡」の石碑。
太平時は鎌倉尼五山の筆頭でしたが、1556年に発生した里見義弘による鎌倉攻撃の影響を受けて廃寺となっています。
鎌倉時代以前からの長い歴史の中で戦火などで多くの寺が失われていますが、再建できたものと、残念ながら再建できず廃寺になってしまったものもあるのでしょう。
▼山号、寺号が彫られた石柱の奥にさらに2本の石柱が新たに建てられていました。
▼これは寺紋?
▼石段を10mほど上った先の左手に本堂が見えました。
来迎寺は鎌倉大地震により亡くなった村民の供養のために、1293年、一向によって開山されたとされています。
▼本堂に掲げられた山号の扁額の文字色が変更されていました
扁額を丸ごと取り替えたのかもしれません。
▼本堂に祀られている美しい仏像の写真を「来迎寺」HPからお借りしました。
左から本尊の阿弥陀如来(鎌倉十三仏)、如意輪観音(鎌倉三十三観音)、岩上地蔵(鎌倉二十四地蔵)。
「鎌倉で最も美しい仏像」とも言われるのですから、一度は本堂に上がり拝観したいものです。上の写真は撮影がウマイことはもちろんですが・・。
そして仏像は美術品ではあるものの、その前に仏教信仰の対象であることを忘れずに必ず「正座 合掌 礼拝」をお願いします、と寺側の案内があります。
当たり前ではありますが、〇〇年、〇〇作などと言われると、どうしても歴史的、美術的な側面でしか見ない場合もあります。
たしかに鎌倉の大仏などは見上げる人は多くても、手を合わせる人は少ないかもしれません。
御朱印をいただく場合も同様です。
いただいた御朱印に書かれた仏像に合掌することは当然のことでしょう。
▼墓域はさらに山側に広がりつつあるようです。
▼前後しますが、来迎寺石段手前に気になる小さな神社がコッソリと鎮座します。
2013年から2023年の訪問ですが、何も変わっていません。
▼「西御門 八雲神社」の案内には創建は不明、社殿は天保三年の建造とあります。
天保年間ですから江戸時代末期の建造になります。
鎌倉大町の「八雲神社」は有名ですが、こんなところにも同名神社が鎮座です。
▼小さな祠は稲荷社でしょうか?
▼鳥居と比較して相当ブットイ大木は、ヒッソリとした来迎寺と神社の長い時間を見つめてきたはずです。
古木を手で触れてみれば鎌倉西御門の歴史の鼓動が感じられるかもしれません。