▼佐助稲荷神社の御朱印です。(神奈川県鎌倉市佐助2-22-12)
気づきませんでしたが、2013年にいただいた御朱印にも銭洗弁天の御朱印同様の
「かまくら隠れ里」の添え書きがありました。
13年と21年、二つの御朱印はまるで様相が異なります。
そして8年ぶりに再訪した境内も拝殿が新しくなり様相を変えていました。
▼2021年の書置き 佐助稲荷神社の御朱印。
▼佐助稲荷神社の御朱印(2013年)。
▼御朱印は授与所で。8年前の記憶とは異なり明るい造りになっていました。
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▼葉脈のように広がる谷あいに静かな住宅街が続き、その先の小高い位置に鎮座。
▼神社入口は8年前の初訪問では左の住宅らしき建物はなかったような記憶です。
▼写真を失っていますが、当時は入口からして「隠れ里」の名にふさわしく、もっと寂しげな雰囲気でした。
現在でも変わりませんが、当時もお隣のような位置にある「銭洗弁天」ほどの参拝者は見当たりませんでした。
朱塗りの鳥居が連なる参道に大きな変化は見つかりませんが、鳥居はもう少しマバラだったように思います。
土台や塗りの新しいものもありますので、やはり2013年と比べると鳥居の密度は増しているようです。
諸外国からの訪問者が喜びそうな朱鳥居の連続は、鎌倉では他に思い当たりません。
佐助稲荷神社は元々は鶴岡八幡宮の境外末社でしたが、明治期に独立しています。
創建は不詳ですが頼朝の伝説があり、1359年の記録には「佐介稲荷社」という表記が見られるそうです。
「佐助」という耳障りの良い名称は、ここが「三介ガ谷」と呼ばれていたのが変化したのではないかという解釈もあるそうです。
▼神秘性たっぷりな表情の狐たちがミステリアスなシチュエーションを高めます。
▼緩やかな傾斜の長い参道の先に最後の石段です。
▼古色蒼然としていた拝殿は新しくなっていて、まるで雰囲気が変わっていました。
老朽化した古い拝殿は取り壊され、途中、台風の被害に遭いながらも2020年に完成されたそうです。
単純に個人的好みだった「隠れ里の稲荷社」的趣きは失われていました。
▼成功成就、立身出世は願いませんが、再び参拝できたことを感謝して祈ります。
▼拝殿真裏にある本殿に続く石段を登ります。
こちらも記憶とは少し様相が違います。鳥居が新しくなって光っています。
▼本殿がありません。鬱蒼としていた木々も少し取り払われているようです。
▼こちらにも古い社があったはずですが、取り除かれて仮殿のようになっていました。
本殿も新しく建設計画中のようです。
▼本殿から見た拝殿の屋根です。
▼境内左手にある古い祠が並ぶ狐塚のような場所があります。
▼周辺はおびただしい数の狐像が並びます。
▼石段を上がります。ここも朱の鳥居が新しく光っています。
異空間に感じられたここも石畳などが新しく、やはりきれいに整備されています。
それでもこの神社で一番の記憶に残る素晴らしい一画です。
苔むした稲荷社は変わらないでしょう。
山奥の田舎道に迷い込んだような景色だけは、何とか保たれています。
▼良縁に恵まれなかった女性の伝説が残る「縁結」の観音菩薩。
▼「霊狐泉」は絶えることのない神水が湧き出て、昔は麓の田畑を潤したそうです。
低山とはいえ山に囲まれた鎌倉だからこその湧き水なのでしょう。
境内や社殿が少しずつ整備され、いつまでも「隠れ里」ではない事を実感させられた佐助を後にします。