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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

田出宇賀神社の御朱印(福島・会津田島)〜南会津の思い出の町に鎮座する神社

田出宇賀神社御朱印

たでうがじんじゃ主祭神:宇迦之御魂命

福島県南会津郡南会津町田島宮本甲629)

f:id:wave0131:20210312194508j:plain朱印も墨書きも神社名を知らなければ読み取るのが難しいですが、

落ち着いて、一文字、一文字を区切っていけば読める可能性が出てくる、素晴らしい筆書きです。

 

▼田出宇賀神社は会津鉄道会津田島駅」から1km弱になります。

▼雨の「会津田島駅」。

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神社の住所は福島県ですが、その中でも「会津地方」になります。

 

福島県というのは県域で大きく「会津」「中通り」「浜通り」の3つの地方に分けられます。                        (写真は「なるほど福島」)

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実はそんなん事は知らなかったのですが、

2011年の東日本大震災以来は地震速報で度々耳にするようになって初めて知りました。

それまでは「浜通り」って、どこの通り? どこのストリート?

と不思議に思っていました。

 

東京都が「東京都区部」「多摩地域」「東京都島嶼部」に大きく区分されるのと同じような分け方なのでしょう。

 

会津地方は右を向いても左を向いても「山」が目に入ってきます。

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神社のオリジナルHPはなさそうなので wiki からの引用です。

昔、この地の田んぼの中に小島があり、その中の泉から神が出現したことから、町の名を「田島」と改めたと言い伝えられており、この田ノ神を「宇迦之御魂命」と崇め、田出宇賀大明神と称して町の鎮守の神とされた。

簡潔で分かりやすい説明ですので、神社についてはこれ以上不要でしょうが、

創建は不詳のようです。

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神社は数日後に控えた、重要無形民俗文化財とされる「会津田島 祗園祭」の準備などで忙しそうだったところ御朱印対応いただきました。

 

800年以上の歴史を持つ「会津田島 祗園祭」は京都祇園祭をはじめ日本三大祇園祭の一つに数えられるそうです。

とても賑やかそうな祇園祭ですが、もっとも日本三大祇園祭は京都八坂神社以外は候補神社がいくつもあるそうです。

「我こそは」との思いでランキングに加わる。これはどのランキングにも言えることでしょう。

 

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雨が上がった境内はシットリ落ち着いていましたが、他の参拝者は見受けられませんでした。

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田島には知人の親戚があり、過去にほかの知人とともに3人で1泊させていただいたことがあります。

GW期間で高速利用でも半端ない渋滞で、東京から8時間近くかかってヘトヘトになりました。

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その家の裏を流れる「阿賀川」の水が冷たかったこと、

また知人の親戚宅で奥さんの手作りご飯をご馳走いただいて、

山菜の天ぷらがメチャ美味しかったことや、

他にも山菜以上に少しニガイ出来事もありましたが、

どれもしっかり記憶に残っている田島です。

 

そんな思い出の町に鎮座する神社ですが、御朱印巡りのこの時は一人。

友人との旅、1人の旅、それぞれの良さがありますが、

御朱印目的の旅は、やはり一人が性に合っているようです。

 

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▼社殿は「田出宇賀神社」と「熊野神社」の2社が同居されていました。

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ここの神社の場合は一人でなく、社も祭神も複数でした。

清澄寺の御首題(千葉・鴨川市)〜題目を吠える若き日蓮の風景を追い、マーライオンに逢う

▼千光山 清澄寺の御首題です。(日蓮宗 大本山/千葉県鴨川市清澄322-1)f:id:wave0131:20210302194123j:plain

清澄寺の御首題(2020年)。f:id:wave0131:20210302194132j:plainプリントの書置きでした。行儀よくまとまり過ぎなイメージです。

 

清澄寺の御首題(2012年)。f:id:wave0131:20210302194127j:plain2012年の御首題はもちろん直書きでいただいています。

髭題目が躍っています! 跳ねています! 日蓮の息吹がにじみ出ているようです。

 

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清澄寺へは外房線安房天津」より登山バスが出ています。15分ほどで到着。

東京からですと「鴨川」「小湊」への2ルートの高速バスも利用できるようです。

いずれにしても内房線外房線の駅近くの寺社は別にして、房総半島内陸部への訪問は車利用でないと不便でしょう。

 

愛称「清澄養老ライン」を鴨川方面から清澄寺へ進むとドンドン高度が上がります。

と言っても房総半島の山道ですので標高300mくらいでしょう。

▼途中、道路を跨ぐ総門を抜けます。

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▼さらに途中「清澄養老ライン」から右折すると間も無く「仁王門」が見えます。f:id:wave0131:20210302194538j:plain

▼「仁王門」の斜め前に数台分の駐車スペースがあります。埋まっていたら仁王門右から入って境内にも駐められます。f:id:wave0131:20210302194534j:plain

山号扁額の左右には「大本山」と「日蓮大上人 得度開宗之霊場」が書かれています。

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大本山」ですが、久遠寺誕生寺本門寺とともに「日蓮宗四霊」とも呼ばれています。

 

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wiki からの引用(抜粋)、

旅の僧が当地を訪れて虚空蔵菩薩を祀る一寺を建立し、山岳信仰霊場となった。山頂近くに古い柏の木があり怪しく千光を発していたことから山号を千光山とし・・・

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得度開宗」の意味は、1222年、鴨川市の漁村に生まれたとされる日蓮は、1233年にこの寺に入門し、1253年にはここで立教開宗を宣言していることを指します。

妙法蓮華経!南妙法蓮華経!南妙法蓮華経」と、

30か31歳の若き日蓮の「目覚め」でしょう。

 

▼阿形吽形の仁王が立つ仁王門は1863年の造立だそうです。

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▼鐘楼は新しく平成に入ってからの完成。

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▼少し高い位置にある「本堂」に上がります。f:id:wave0131:20210302194321j:plain

▼「本堂」は「大堂」とも呼ばれ、現在のお堂は17世紀に造られています。

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▼御首題は本堂受付でいただけます。f:id:wave0131:20210302194330j:plain

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▼「本堂大堂)」は「摩尼殿」の扁額が掲げられています。

f:id:wave0131:20210302194211j:plainどの名称が正解なのか分からなくなりますが、本堂・大堂は一般名詞、

摩尼殿」は固有名詞ではなさそうだけど、さらに絞った一般名詞と理解しておきます。

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本堂には「虚空蔵菩薩」を中央にして日天子、月天子、さらに不動明王毘沙門天が祀られているそうです。

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首を伸ばして堂内を覗き込めば、マンダラ感たっぷりな雰囲気です。

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日蓮が立教開宗を宣言した1253年以降は少なくとも清澄寺日蓮宗かと思いましたが、間違っていました。

その頃は天台宗で、その後真言宗、戦後の昭和に日蓮宗と改宗されてきたそうです。

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▼本堂から見た正面は宗門行事、信徒の修行、講習会などに使用される「信育道場」。f:id:wave0131:20210302194353j:plain

▼本堂の屋根にはフン張っている方がいます。

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▼相変わらず正式名称は知りません。f:id:wave0131:20210302194426j:plain

手水舎水盤の下でフン張っている方は「ガマンさん」と呼んでいる寺社もありますが。

 

▼本堂も「祖師堂」も正面扉は開いていますが、フェンスがあり中には入れません。

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日蓮聖人像が祀られている斬新な設計の建物は1973年の建立。

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▼茅葺の風情ある「中門」は1647年の造立で、1837年に改修された県指定文化財

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▼門奥は「宝物館」入口となります。

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▼ちょっと気持ちを一休みさせてくれるお二人。

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▼正面に大日如来が彫られた「石造宝篋印塔」は「応永14年4月」の紀年銘。

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▼もう一つの鐘楼。f:id:wave0131:20210302194500j:plain

▼こちらは明徳3年(1392年)の 銘の入った古梵鐘。f:id:wave0131:20210302194434j:plain

▼額の文字は「報恩殿」。「報恩」とか「思恩」の文字が度々使われる日蓮宗です。

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報恩殿」裏のつつじ山は、毎年ゴールデンウィークの後半に見頃になるそうです。

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▼「観音堂」。f:id:wave0131:20210302194522j:plain

丑年と午年に開帳される「安房国札三十四観音 第17番札所」にもなっています。

▼「観音堂」の額は文字が掠れて読めません。あてずっぽで「大悲殿」!?f:id:wave0131:20210302194526j:plain

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▼天然記念物の大杉は樹齢800年、身長47m、ウエスト15m。f:id:wave0131:20210302195001j:plain

霧が深くなってきて幻想的な雰囲気を醸し出しています。

夕方近くで、コロナ禍でもあり寺は早々と店じまいの様子でした。

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でも広い境内はまだまだ見てない箇所がいっぱいです。

▼案内イラスト右下の白い建物を目指します。f:id:wave0131:20210302195010j:plain

▼霧中に浮かぶのはストゥーパ仏舎利塔」でした。

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▼正面に一対の「マーライオン」? ではなく、やはり「狛獅子」でしょうか?

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建物の4面に黄金に輝く「釈迦像」。

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▼周辺は「きよすみユリの里」として整備されているようですが、

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▼霧で何も見えませんでした。

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霧の中、マーライオン2頭と、お釈迦さま四体。

他には人っ子一人見当たりません。

感染症には全く心配ない状況ですが、

7月25日なのに背中が少し涼しくなってきました。

隅田川神社の御朱印(東京・墨田区)〜何とかしたい このロケーション! でも ホッとする神社

隅田川神社御朱印。(東京都墨田区堤通2-17-1)

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絵葉書もいただきました。

隅田川神社御朱印(2021年)。

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書置きでしたが、宮司さんの丁寧な対応で日付を入れていただきました。

プリントや印刷でなくきっちり墨書き・朱印されたものでした。

 

隅田川神社御朱印(2014年)。f:id:wave0131:20210315155539j:plain

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隅田川神社東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅」から500m強の位置に一之鳥居が建ちます。

浅草名所七福神の寿老人を祀る「石浜神社」からですと1kmほどの距離になります。

 

▼約160年前、広重が「隅田川水神の森真崎」を描いています。(名所江戸百景)

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水神」は現在の隅田川神社のことで絵の右下に社が描かれています。

江戸の外れですので何とものんびりした風景で、中央の奥は筑波山

ほぼ独立峰に近い筑波山は、富士山とともに名所江戸百景に度々描かれています。

この頃の隅田川は絵の画面中央が河口で、手前は江戸湾の入江となっていたので、現在より河幅ももっと広いイメージで描かれています。

 

▼現在は隅田川と平行する「墨堤通り」に一之鳥居が立ち、集合住宅の間に参道がのびています。

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アパートを抜けると「水神の森」は都市開発により「東白鬚公園」と名前も姿も変えています。

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隅田川沿いに長く広がる公園とアパート群は防火・防災の役目も担っているようです。

そのせいか公園には「纏い」のモニュメントも立ちます。

 

▼公園を抜けると二之鳥居と駐車場が見えます。

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当社裏の隅田川と平行する首都高向島線の高架がうるさくジャマします。

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▼二之鳥居から直角に左に進むと三之鳥居が見えます。

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▼同じ位置の2014年4月は、まだ桜が残り咲いていました。

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広重も百景で桜をアップして描いています。

現在も神社と隣接する公園には桜の木がたくさんあり、毎年「さくら堤通り花まつり」が開催されるそうですが、2021年は少なくとも「まつり」の文字はないでしょう。

 

▼三之鳥居を今度は右に直角に折れると社殿です。

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都心部ですと社殿や本堂のバックが高層ビルだったりして馴染んでいたりしますが、ここは高速道路の高架です。

何とも馴染めず、ジャマで残念な景色となってしまっています。

中央区に架かる「日本橋」と同じく、何とかしたい高速の高架です。

 

ジャンクションなどで高架が複雑に輪を描くなど、絵になる光景もありますが・・。

 

▼社殿前に一対の「狛犬」ならぬ「狛亀」が並びます。

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神社の創建は不詳ですが、

1180年、頼朝が平氏との戦いの折、隅田川を無事渡河できたことにより水神社の社殿を造修したと伝わり、

かつては単に「水神さん」「水神社」と呼ばれ、隅田川一帯の総鎮守でした。

 

言い伝えでは神代の時代、亀に乗った祭神がこの地の浮洲に鎮座したそうで、

「水神」を招いたのは「神亀」であり、「水神」を守るのも獅子や犬ではなく「神亀」なのでしょう。

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▼社殿は江戸時代に建てられたものが何度も改修を繰り返されているそうです。

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祭神は速秋津日子神・速秋津比賣神・鳥之石楠船神・大楫木戸姫神

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屋根瓦と軒下、賽銭箱も「」です。

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▼金文字の大きな奉納額は「昭和」の文字が読み取れました。

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奉納者とともに隅田、鐘ヶ淵、千住、入谷、吾妻などの地名が記されているので、地域の人たちに広く崇敬されていたことが見て取れます。

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▼境内右手に三才稲荷神社若宮八幡神社はじめ、境内社がいくつか並びます。

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▼右の祠には「」がいらっしゃいます。

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▼境内や駐車場周辺にはたくさんの石碑が立ちます。

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▼一際大きな石碑は「吟香岸田翁碑」。画家の岸田劉生の父親だそうです。

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明治時代の新聞記者、実業家、教育家だった岸田 吟香(きしだ ぎんこう)は 、

卵かけご飯」が大好きだったそうです。

 

仰々しい石碑の主が「卵かけご飯」が好きだったという話にホッとさせられますが、

ロケーショ故に参拝者の少ない隅田川神社境内もホッとさせられます。

それほど広い境内ではありませんが、ほかにも見所の多い神社です。

 

▼すぐお隣の「木母寺」の記事。

wave2017.hatenablog.com

 

那古野神社と名古屋東照宮の御朱印(名古屋・中区)〜「なごの」? 「なごや」!

那古野神社御朱印です。(愛知県名古屋市中区丸の内2-3-17)f:id:wave0131:20210318185208j:plain

ご多忙な様子の中、揮毫いただきまました。

それにしても他にあまり例を見ない紙面いっぱいのダイナミックな墨書きです。

 

▼読み取れない神社印が気になりましたので、墨を飛ばして、予想で朱色を加えて見ました。

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印鑑によく使用れる篆書体(てんしょたい)でしょうが、

右側の那古野の3文字は、組み合わせも面白いのですが、

「古」は何とか読めても、ほか2文字は読み取れません。

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那古野神社と同じ敷地内に鎮座する

名古屋東照宮境内社 福神社御朱印です。f:id:wave0131:20210318185212j:plain

日付が一つなので見開き扱いという事でしょう。

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那古野神社名古屋東照宮は北に名古屋城を控えた丸の内のオフィス街に鎮座。

 

▼名古屋は空も広く・・・

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▼道路も広い。車ですと走りやすい街のように思います。

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東京も昔から比べれば渋滞も減ってかなり走りやすい道路が多くなりましたが、

東京・名古屋・大阪を比較すると名古屋が一番走りやすいように思います。

道路の幅と車の量の関係でしょうか?

何しろ名古屋には通称「100m道路」という、出来た頃に騒がれた通りが2本もあります。

といってもだいたい片側3〜4車線で、中央分離帯が広い公園などになっています。

道路の両サイドに植栽を設け、その外側に駐車スペースもあるもう1車線がつくられている通りもあります。

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東京ですと2車線道路の左車線を走っていると

▼車線内に突然コインパーキングの白線が敷かれていることがあります。

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車が駐車していなければ問題ありませんが、駐っている場合は、軽でも無理でバイクしか通れません。

どういう規則と根拠でコインパーキングが設置されるのか、全く頭を傾げ、腹たつ通りが東京にはたくさんあります。

名古屋の街を走り慣れてるドライバーが、そんな東京の道路を走ったら戸惑うことは多いでしょう。

 

いつも通り、神社や御朱印とは無関係な文章が長くなりました。

道路や車線の話という脱線でした。

 

▼「江戸名所図会」は知っていましたが、

同じように名古屋には「尾張名所図会」がありました。f:id:wave0131:20210318185220j:plain

江戸時代末期から明治にかけて制作された案内書です。

当時は「亀尾天王社」と呼ばれていた那古野神社です。

図会には別当寺のほか、左上には名古屋城も描かれています。

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創建911年、現在は須佐之男神を主祭神としていますが、

家康が築城した名古屋城の総鎮守、城下町の氏神とされていました。

 

創建後1100年の神社の歴史は、繰り返された社殿の焼失や遷座など、波乱に満ちています。

江戸時代以降の名称も、三之丸天王社・亀尾天王社➡︎須佐之男神社➡︎那古野神社と改称されています。

大きな神社は明治に入ってから改称させられている神社が多く見られます。

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佐賀県名護屋の名称がありますが、ここは名古屋市の那古野神社で、

やはり「なごやじんじゃ」と呼ぶのが正解のようです。

同じ市内の中村区と北区にある「那古野」は「なごの」と呼ぶそうです。

どうでもよい話ですが「なごや」もいろいろです。

 

 

那古野神社のすぐ北に「愛知県護国神社」がありますが、

名古屋東照宮は西隣に隣接し、同じ敷地内と言って良いでしょう。

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1619年の建立と言われていますので、家康の死の3年後になります。

東照宮も「尾張名所図会」に紹介されていました。

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三の丸 御宮の図」として掲載されています。

那古野神社、東照宮ともかつては広大な境内だったことが見て取れます。

 

両社の写真が全くないので、無関係な文と「尾張名所図会」をお借りする記事となりました。

この両社も愛知県護国神社も含めて、ぜひとも再訪したい神社です。

佐野厄除大師と寺岡山元三大師の御朱印(栃木・佐野市、足利市)〜二つの寺の「厄除け」「御朱印」の行方は?

▼春日岡惣宗寺と、寺岡山 薬師寺御朱印です。

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佐野厄除大師御朱印。(天台宗/栃木県佐野市金井上町2233)f:id:wave0131:20210316142749j:plain

佐野厄よけ大師の正式名称は「日岡山 転法輪院 惣宗官寺」。

ひらがなにすると「かすがおかやま てんぼうりんいん そうしゅうかんじ」と長ったらしいのですが、縮めて「惣宗寺」や「日岡」とだけ呼ばれることもありますが、

やはり「佐野厄除大師」の名が一番有名でしょう。

 

寺岡山元三大師御朱印。(天台宗/栃木県足利市寺岡町871)f:id:wave0131:20210315193756j:plain

寺岡山元三大師の正式名称は「寺岡山 施薬院 薬師寺」。

2015年の寺岡山元三大師の御朱印は上記の1種類しかなかったように思います。

▼2021年現在の寺のHPを見るとイラスト御朱印がズラリと紹介されています。

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                当山のご朱印 | 寺岡山元三大師とは | 足利厄除け寺岡山元三大師

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通称名の通り惣宗寺は「佐野市」にあり「佐野駅」から1.2kmほどの距離。

 

▼寺岡山薬師寺は「足利市」にあり「富田駅」から1.4kmほどの距離。

▼2つの寺は直線で3kmほどの距離にあります。

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片や佐野市にあり、片や川を一つ越えた足利市に位置します。

そして両寺とも「元三大師」を祀り、「厄除け」を大々的にPRしています。

ゲスの勘ぐりになるかもしれませんが、同じ栃木県内でいわゆるライバル関係になっているかもしれません。

 

佐野厄除け大師

勝手にライバル関係なんて言いましたが、これまでは「関東の三大師」を名乗り、年末年始のTVコマーシャルで、成田山や川崎大師同様に

▼関東地方では「佐野厄除け大師」が圧倒的な知名度を有していました。

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神奈川の川崎大師などと比べると境内はそれほど広くはないのですが、東京のTVで流れるPRで誰でもその名を知っていると言っても過言ではありません。

年間の数値なのでしょうか、100万人の参拝者が訪れるという紹介も見受けられます。

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創建は944年と伝わり、如意輪観音元三大師を本尊としています。

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関東の三大師」を名乗ってはいるものの、このランク付は日本国中に数多ある他のランク付同様「我こそ、その一つ」と名乗る候補者がいくつもあります。

言わば「早いもの勝ち」で、そのPRを先に大々的にした方が定着するのでしょう。

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そんな状況を「佐野厄除大師」はTVというメディア利用で、その地位を確立したと言えるかもしれません。

その安定度ゆえか、寺のHPは歴史などの記述は一切なく、もっぱら「厄除け」に関する案内だけで、いささか貧弱で一時代前のようなコンテンツとなっています。

御朱印に関してもイラスト使いや限定などは見受けられず、従来どおりのスタンダードなものだけのようです。

 

寺岡山元三大師

佐野」に比較して、こちらの「厄除元三大師」は、寺は檀家を持たず、境内はさらに狭く、おそらく地元足利市の人たちにより支えられていた寺だったかもしれません。

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東京はじめ、多くの関東人にとってはマイナーな寺の一つでした。

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創建は聖徳太子の時代と伝わり、

正式名称の寺岡山 薬師寺の通り、本尊は「薬師如来」ですが、

祈願の本尊は「元三大師」となっています。

 

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マイナーな寺と書きましたが、檀家をとらず、祈願寺として歩んできた歴史を持ちます。

中でも江戸時代には多くの参拝者を集め栄華を極めたそうです。

 

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そして現代、令和に入り寺のHPが一新されました。引用です。

現在、「知名度向上プロジェクト」の一環として当山がこのほど始めたのがTwitterの開設、魅力に溢れた新しいご朱印づくり、新パンフレットの作成、そして情報発信の核となるホームページのリニューアルであります。

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知名度向上プロジェクト」とする限り、これまで知名度が足らなかったのでしょう。

上述した「マイナーな寺」という表現で間違いなかったのです。

 

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TVコマーシャルを利用してメジャーになった「佐野」に対して、

寺岡山はHP、BLOG、TwitterというTVより遥かに少額で済むメディアを利用しました。

 

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現在「知名度向上プロジェクト」は功を奏しているようです。

その一番の貢献者は「魅力に溢れた新しいご朱印づくり」のように予想されます。

知名度向上」と言っても、その内容は御朱印収集者、中でもイラスト御朱印ファンに限られるかもしれません。

 

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それでもブームに乗って寺と御朱印は雑誌、書籍はじめ各種のメディアに取り上げられ、SNSでは多くの投稿記事が見られます。

 

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ここ数年の「御朱印の力」は計り知れません。

今や佐野市足利市が接するこの地域の御朱印を求めようとすると参拝者は、

明らかに寺岡山を先に足を向けるでしょう。

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厄除けは「佐野厄除け大師!」

厄除け御朱印は「寺岡山元三大師!」

という図式になっている二つの寺の行末が楽しみです。

 

ブームで終わるか、定着するか?

現状は「イラスト御朱印おそるべし」と言えます。

 

 

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