▼佐野厄除大師の御朱印。(天台宗/栃木県佐野市金井上町2233)
佐野厄よけ大師の正式名称は「春日岡山 転法輪院 惣宗官寺」。
ひらがなにすると「かすがおかやま てんぼうりんいん そうしゅうかんじ」と長ったらしいのですが、縮めて「惣宗寺」や「春日岡」とだけ呼ばれることもありますが、
やはり「佐野厄除大師」の名が一番有名でしょう。
▼寺岡山元三大師の御朱印。(天台宗/栃木県足利市寺岡町871)
2015年の寺岡山元三大師の御朱印は上記の1種類しかなかったように思います。
▼2021年現在の寺のHPを見るとイラスト御朱印がズラリと紹介されています。
当山のご朱印 | 寺岡山元三大師とは | 足利厄除け寺岡山元三大師
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▼通称名の通り惣宗寺は「佐野市」にあり「佐野駅」から1.2kmほどの距離。
▼寺岡山薬師寺は「足利市」にあり「富田駅」から1.4kmほどの距離。
▼2つの寺は直線で3kmほどの距離にあります。
そして両寺とも「元三大師」を祀り、「厄除け」を大々的にPRしています。
ゲスの勘ぐりになるかもしれませんが、同じ栃木県内でいわゆるライバル関係になっているかもしれません。
「佐野厄除け大師」
勝手にライバル関係なんて言いましたが、これまでは「関東の三大師」を名乗り、年末年始のTVコマーシャルで、成田山や川崎大師同様に
▼関東地方では「佐野厄除け大師」が圧倒的な知名度を有していました。
神奈川の川崎大師などと比べると境内はそれほど広くはないのですが、東京のTVで流れるPRで誰でもその名を知っていると言っても過言ではありません。
年間の数値なのでしょうか、100万人の参拝者が訪れるという紹介も見受けられます。
創建は944年と伝わり、如意輪観音と元三大師を本尊としています。
「関東の三大師」を名乗ってはいるものの、このランク付は日本国中に数多ある他のランク付同様「我こそ、その一つ」と名乗る候補者がいくつもあります。
言わば「早いもの勝ち」で、そのPRを先に大々的にした方が定着するのでしょう。
そんな状況を「佐野厄除大師」はTVというメディア利用で、その地位を確立したと言えるかもしれません。
その安定度ゆえか、寺のHPは歴史などの記述は一切なく、もっぱら「厄除け」に関する案内だけで、いささか貧弱で一時代前のようなコンテンツとなっています。
御朱印に関してもイラスト使いや限定などは見受けられず、従来どおりのスタンダードなものだけのようです。
寺岡山元三大師
「佐野」に比較して、こちらの「厄除元三大師」は、寺は檀家を持たず、境内はさらに狭く、おそらく地元足利市の人たちにより支えられていた寺だったかもしれません。
東京はじめ、多くの関東人にとってはマイナーな寺の一つでした。
創建は聖徳太子の時代と伝わり、
祈願の本尊は「元三大師」となっています。
マイナーな寺と書きましたが、檀家をとらず、祈願寺として歩んできた歴史を持ちます。
中でも江戸時代には多くの参拝者を集め栄華を極めたそうです。
そして現代、令和に入り寺のHPが一新されました。引用です。
現在、「知名度向上プロジェクト」の一環として当山がこのほど始めたのがTwitterの開設、魅力に溢れた新しいご朱印づくり、新パンフレットの作成、そして情報発信の核となるホームページのリニューアルであります。
「知名度向上プロジェクト」とする限り、これまで知名度が足らなかったのでしょう。
上述した「マイナーな寺」という表現で間違いなかったのです。
TVコマーシャルを利用してメジャーになった「佐野」に対して、
寺岡山はHP、BLOG、TwitterというTVより遥かに少額で済むメディアを利用しました。
現在「知名度向上プロジェクト」は功を奏しているようです。
その一番の貢献者は「魅力に溢れた新しいご朱印づくり」のように予想されます。
「知名度向上」と言っても、その内容は御朱印収集者、中でもイラスト御朱印ファンに限られるかもしれません。
それでもブームに乗って寺と御朱印は雑誌、書籍はじめ各種のメディアに取り上げられ、SNSでは多くの投稿記事が見られます。
ここ数年の「御朱印の力」は計り知れません。
今や佐野市と足利市が接するこの地域の御朱印を求めようとすると参拝者は、
明らかに寺岡山を先に足を向けるでしょう。
厄除けは「佐野厄除け大師!」
厄除けと御朱印は「寺岡山元三大師!」
という図式になっている二つの寺の行末が楽しみです。
ブームで終わるか、定着するか?
現状は「イラスト御朱印おそるべし」と言えます。