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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

浄光寺「木下川薬師」の御朱印(東京・葛飾区)〜木下川の光と陰を追え

青龍山 薬王院 浄光寺「木下川薬師」御朱印

きねがわ やくし天台宗(東京都葛飾東四つ木1-5-9)

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通称の「木下川薬師」は難読。

誰も正確には読めない「きねがわやくし」です。

 

御朱印をお願いした庫裏で見かけました。

近頃では巷にありそうで、なかなか見かけることのない柱時計。

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昭和の時代はどこの家でもチャブ台があり、

ゼンマイ仕掛けの時計が部屋の柱にかけられていて、

静かにチックタック、チックタック・・・。

そして1時間ごとに時刻の数だけ「ボ〜ン ボ〜ン ボーン」と鳴っていたそうです。

1時間が現代の1時間より長く感じられた時代だったかもしれません。

 

この柱時計は一般家庭で見かけられていたものより、少し立派過ぎのようですが・・・。

 

「木下川薬師」は京成「四ツ木駅」から1kmもなく、荒川の東岸沿いに建ちます。

四ツ木駅」周辺の荒川には京成線の鉄橋を含め4つの橋が架けられています。

そのうちの一つが「木根川橋」で素直に「きねがわばし」と読めます。

この地は中世には「木毛河(きげがわ)」と呼ばれ、

江戸時代に入ってから「木下川(きねがわ)」と呼ばれるようになりましたが、

葛飾」とも呼ばれ、将軍の狩場であったそうです。

現在は「木下川」という現実の川はありません。

 

▼2017年に訪問した時には庫裏の玄関は開いていたものの、声をかけても無反応。

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▼くじけず2年後の令和元年に再訪しました。

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寺の伝承によれば創建は849年。

浄光寺」と名のるのは860年からだそうです。

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将軍吉宗の時代の鷹狩りの際には休憩所として定められていたそうです。

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その江戸時代には本尊の薬師如来の霊験、病気平癒の願いを乞い、江戸市中からも多くの参詣者がいて、

なかでも幕臣 勝海舟もたびたび訪れ、寺には直筆の書も残されているそうです。

 

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当時は杜若を愛でにきた文人墨客の姿も多く見られたようですが、

そんな賑わいと華麗な歴史は、現在では全く見当たらない静かで綺麗な寺です。

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現在は「木下川」という行政区分は存在しませんが、その名称は多く残っています。

寺は荒川の東岸になりますが、対岸の西側にも「木下川」という名称が多く残るのは、大正から昭和にかけて荒川放水路が開削されて村が分断されたからです。

 

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この寺も元々は現在の荒川の中にあり、荒川開削のために現在地に移転させられたそうです。

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▼荒川と平行して続く「首都高速中央環状線」が見えます。

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▼「やくし幼稚園」が境内に隣接しています。

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▼「登美の松」の木は二代目で、将軍家光の手植えと伝わり、吉宗の命名だそうですが「登美」は何を、誰を指すのか分かりません。

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それにしても気持ちの良い綺麗に整えられた境内ですが、

立地的に恵まれないせいか参拝者はぽつぽつと見かける程度でした。

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藤の花やカキツバタが咲く頃には多くの参拝者が訪れるかもしれませんが、

普段の日の静けさが何かもったいないようにも感じる美しい境内を持つ寺です。

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ところで木下川の地は荒川の開削により東と西に分断されたのですが、

荒川の西側、現在の京成線「八広駅」から東方面の墨田区「東隅田」には皮革業者の工場が点在しています。

 

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江戸時代には現在の浅草今戸神社あたりに集中していた皮革の鞣し業者が、

その臭気問題から明治初期に三河島と、ここ木下川に強制移転させられたそうですから、その名残でしょうか?

その最盛期の明治期には木下川に90以上の皮革業者があったそうです。

 

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江戸時代には非人として賎民扱いされていた、斃死した牛馬を解体する者や刑吏も住んでいたそうで、

そこへ鞣し業者が加わってきたのでしょう。

今で言うところの「3K」の仕事と言う言葉などはまだまだ生易しい「超3K」を生業として、

当時は穢らわしい職業を持つ賎民とされ部落を形成していた、ダークな歴史を持つ土地でもあるのです。

 

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その後のなめし業者、皮革業者は現在でも名の知れた企業になり、

副産物でもあった油やゼラチンは、石鹸や化粧品、肥料などの企業にもなっています。

地域は新しそうな住宅やマンションも建ちその姿は変わりつつあるようですが、

現在でも土地価格は23区内では比較的安いそうです。

 

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村が分断された荒川の東側部分の「木下川」にはダークな歴史の片鱗も見当たらず、

直接関連のない「木下川薬師」は明るい緑に包まれています。

 

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しかしそんな歴史を持つ地であったことを念頭に寺を訪問すると、

もっと興味深い参拝になるかもしれません。

 

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▼木下川薬師、秘仏ご開帳の記事。

 

 

外房に建つコンプリート「コンピラさん」 〜金刀比羅神社の御朱印(千葉・山武市)

金刀比羅神社御朱印。(千葉県山武市松尾町八田)f:id:wave0131:20200730144443j:plain

御朱印は拝殿前に書置きが用意されていました。

 

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金刀比羅神社総武本線横芝駅」が最寄駅となります。でも、2.5kmあります。

 

▼JR総武本線と並行するR126を走っていると、道路沿いにいきなりインパクトのある鳥居が現れました。

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失礼ながら、意図的にこの神社を目指していたわけではありません。

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しかし、こんなにアピールしている鳥居を素通りするわけにはいきません。

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素通りするは御朱印収集者として「名折れ」となりますのでご挨拶することにします。

 

▼境内の西にも立派な鳥居が構えています。

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全国に3000社ほどある「稲荷神社」で、

その数には及ばないものの、コンピラさんも600社ほどあるそうです。

何度も記しているかもしれませんが、

金刀比羅神社」「琴平神社」「事比羅神社」「金比羅社」などと

名称は微妙に違いますが、すべて香川の「金刀比羅宮総本宮としているはずです。

 

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600社もあるので、通常は他社との混同などを避けるため、

「●金刀比羅神社」と地域の名称を頭に付けることがほとんどです。

 

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例えば、東京の例では「虎ノ門 金刀比羅宮」などとしています。

 

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しかし、ここの神社は後日調べたHPにも単に「金刀比羅神社」でした。

その潔さと正しさに脱帽です。

https://www.kotohirajinja-matsuo.com/

HPのURLには町の名称「matuo」が入っているのはやむを得ません!

 

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神社の創建は1336年と言われていますので室町時代といいますか、

南北朝時代の始まりに鎮座されたようです。

 

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神社のHPからの引用です。

昭和四年、総檜造・銅板葺きの大正・昭和の神社建築異彩を極めた社殿を造営した。これが現在の社殿であり、各地より視察参拝又は神建築の資料とされた。

 

▼1929年には社殿が「異彩を極めた」かもしれませんが、2019年にその「異彩」は見つかりません。

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「なんでも鑑定団」でもないので、

当然「異彩」を見極める目は持っていませんが・・・。

 

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いずれにしても社殿と言い、境内の広さと言い、

東京ですと「虎ノ門」や、文京区の「東京分社」に決して負けない

金刀比羅神社」です。

 

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境内は工事中でしたので少し雑然としていて残念ですが、

たくさんの寺社を巡っていると、

東京の道路や地下鉄、建物と同様に常に改修中や建築中に出会います。

 

自然災害にしろ、老朽化にしろ、

その都度、寺社の建築物を維持していくことの大変さを思い知らされます。

 

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▼一対のカワイイ狐が微笑ましい小さな社は稲荷社でしょう。

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▼「摂社 神明神社」と案内があります。

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▼「末社 子安神社」の案内。f:id:wave0131:20200730144530j:plain

 

ところで、これまでBLOG記事内で平気で

境内社」「摂社」「末社」と書いていますが、情けないことに

その違いを理解しながらキーボードを叩いているわけではありません。

 

神社知識は弱いのです!

正しく使い分けができるよう勉強します!

 

▼ご神木らしき巨木に挨拶して境内を出ます。

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フラッと寄って参拝した神社としては、とても大きく立派で完璧なコンピラ神社でした。

祐天寺の御朱印(東京・目黒区)〜眠れ眠れ! 幽霊「かさね」呪術師「祐天」

▼明顯山 祐天寺御朱印。(浄土宗・東京都目黒区中目黒五丁目)f:id:wave0131:20200722172608j:plain

2020年7月時点では

南無阿弥陀仏(筆書き)」「南無阿弥陀仏(祐天上人書写のスタンプ)」「累塚」の

3種類の書置き御朱印が用意されていました。

 

祐天寺 累塚かさねづか)の御朱印f:id:wave0131:20200722172604j:plain

 

祐天寺御朱印(2014年)。

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祐天寺の本尊でもある祐天上人の名号書写による書体がモデルの御朱印ですが、

中央の一番下の文字「南無阿弥陀仏 祐天◼️」の◼️が読めません。

数年前にいただいた御朱印を改めて見て、今更気づきました。

ちょっと気になります。

 

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東急東横線祐天寺」という駅名にもなっている寺院です。

東京の人間が「祐天寺」と言う時、寺そのものを指すのではなく

ほとんどが地名や駅名を示します。

 

目黒区内でも中目黒に次いで「住みやすさ」ランキングの高い街です。

もっとも目黒区全体が23区内で「住みたい街」のランキングが

港、世田谷に次いで3位と言うことなので、

オシャレでセンスが良く、治安も良いイメージが固定しているようです。

 

もっとも住民自身がオシャレでセンスも良いと言えるかどうかは別かもしれません。

 

▼祐天寺「表門」は駒沢通りに面しています。

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2014年撮影の「表門」と「仁王門」です。

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▼2020年の再訪です。
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2014年の訪問時は寺に関して「浄土宗の寺」という以外、何の知識もありませんでしたが、その後と今回の訪問で少しだけ寺を理解することができました。

 

▼表門を入ってすぐ左に建つ「地蔵堂」は1788年の建立。

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▼古そうな手水に彫られているのは鳶職の組名でしょうか? 「鳶若者中」とあります。

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地蔵菩薩の化身とも語られる祐天上人の「開山堂」とも言えるお堂のようです。

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▼1735年建立の仁王門は、将軍綱吉の養女竹姫より寄進されたそうです。

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綱吉の母 桂昌院をはじめ大奥の帰依のあつかった祐天上人ですので、寺も何かと将軍徳川家と所縁が深かったようです。

 

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名前に「」の文字がつく高僧は「天海」と「祐天」のほかには知りません。

「天」は「人の上」にある存在、「人を超えた」存在を表わしますが、

「天海」は「空海」を意識したように感じられる名前です。

「祐天」の「」は「人を助ける」意味もあるそうです。

 

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御朱印にもなっている祐天上人書写の名号が彫られています。

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1637年生まれの祐天は12歳で増上寺に入ったそうですが、当時は暗愚のため経文も覚えられず破門。

その後、成田山新勝寺不動尊に知恵を授かった後は秘めていた力を発揮でき、

伝通院や増上寺の住持となったそうです。

 

その間も「南無阿弥陀仏」の名号を書写し多くの人々に授けたそうで、

時代を遡って鎌倉時代時宗 一遍上人の「念仏札」を思い起こさせられます。

 

水屋はいくつも現れます。

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▼「阿弥陀堂」も仁王門同様、竹姫の寄進だそうです。

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全国の有名寺院は、時の将軍や大名の寄進が多いのですが、ここは「」の寄進です。

「姫」がどれだけ、何をもって仏教を重んじていたのか、

また「姫」が左右できる金銭の大きさや力に驚くほかありませんが、

 肩書きだけの使用だったかもしれません。

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阿弥陀堂の隣は稲荷社

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▼扁額は「正一位 五社稲荷大明神」。

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▼表門からの参道を真っ直ぐに進むと正面に祐天上人像が安置されてる「本堂」です。

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火災に見舞われているので明治期の再建だそうです。

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▼江戸消防記念会の奉納額。f:id:wave0131:20200722172840j:plain

▼こちらも江戸町火消し組紋のようです。f:id:wave0131:20200722172832j:plain

「火事と喧嘩は江戸の華」「その華は町火消し」と言われていました。

ここ祐天寺も江戸時代から消防組織と縁が深いようです。

 

仏舎利殿はごく最近建てられたもののようです。

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▼建物下部の巨大な絵馬は、歌舞伎でも有名になった「累塚」伝説の絵解きです。

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(かさね)」は江戸時代の女性の名前。

江戸三大幽霊「東海道四谷怪談」のお岩、「播州皿屋敷」のお菊とともに名を連ねています。

と言ってもこのランキングに「牡丹灯籠」のお露が入ることもあります。

 

累伝説は祐天が累を救う物語です。

祐天は怨霊に襲われていた者達を救済、その怨霊までも念仏の力で成仏させたという伝説があり、江戸時代を代表する呪術師という側面ももっていました。

 

その祐天上人の墓は、境内の東に位置する墓地に建ちますが写真は撮り忘れました。

 

御朱印をいただける「累塚(かさねづか)」です。

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▼鐘楼は6代将軍 家宣の17回忌のため、1729年に正室の天英院が寄進したそうです。

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やはり将軍家との繋がりが固い寺のようです。

 

地蔵菩薩は、地蔵堂地蔵菩薩像を石で模刻したものだそうです。

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地蔵縁起碑は祐天上人が地蔵菩薩の化身であることが記されています。

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もっとも「化身」とは書かれず「本地身」と言うのだそうです。

 

▼松の木の枝越しに見える美しい書院

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御朱印はこちらの寺務所でいただけます。

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広い境内ですので、色々見逃したものも多かったようです。

眠る「累」そして

眠る「祐天」と徳川家、消防などの関わりが少し理解できた寺でした。

円通寺の御朱印(東京・荒川区)〜八幡太郎 → 彰義隊 → 吉展ちゃんまでの千年

▼補陀山 円通寺御朱印。(曹洞宗/東京都荒川区南千住一丁目)f:id:wave0131:20200708190203j:plain

大東京百観音 第八十四番」と印が押されていますが、

霊場としての正常な機能はしていないようです。

 

国内にはたくさんの霊場がありますが、その設立の年代や経緯は様々です。

全く寺院側とは関係なくマスコミが勝手に作り上げた霊場もあるようです。

 

それでも多くの巡礼者がいれば寺院側も無碍にはしないでしょうし、何となくそのままある程度の知名度を持つ霊場となる場合もあります。

 

たとえ寺側が仕掛けたものでも、

知名度も人気もなく巡礼者が少なければ、

当然その霊場は廃れていきます。

 

大東京百観音霊場もそんな例の一つかもしれませんし、

御朱印ブームによって機能し始める霊場になるかもしれません。

 

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円通寺へは東京メトロ三ノ輪駅」から歩いてみましょう。

 

三ノ輪駅南千住駅近辺には、目黄不動永久寺、遊女の投げ込み寺の浄閑寺

首切り地蔵延命寺、小塚原刑場跡地の回向院など、どこも御朱印をいただけて、

それぞれ興味深い歴史を学べる寺院が多くあります。

また、少し歩けば素盞雄神社にも参拝できます。

 

▼地下鉄「三ノ輪駅」から歩いて、都電荒川線の「三ノ輪橋停留所」を覗いていきましょう。

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▲▼数年の間に、レトロな雰囲気のビルの「梅沢写真会館」という文字が消されていました。

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▼都電停留所へは大通りの国道4号線側からは、このビルがくり抜かれ、入口になっています。

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▼ビルの下のトンネルを抜けてもレトロ感は抜けません。

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▼東京で唯一残っている路面電車、都連荒川線「三ノ輪橋停留所」です。

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「駅」ではありません。「停留所」です。

しかし「関東の駅百選」に選ばれています。

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昔は鉄道路線でも「駅」ではなく「停留所」と言う名が使用されていました。

現在ではバスの停留所が「バス停」と省略されて呼ばれていますが、

東京に張り巡された路面電車がトコトコ走っていた当時は「電停」とも呼ばれていたそうです。

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この停留所にしろ電車にしろ鉄道マニアには人気が絶えないようです。

 

▼都電に平行して三ノ輪橋商店街「ジョイフル三ノ輪」が長く延びています。

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下町テイスト満点の商店街は安い、美味しいの人気店もあり人通りが絶えません。

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商店街から戻り、円通寺に向かいます。

▼裏通りから国道方面に目を向けると東京の光と陰のような情景が見えます。

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▼途中、趣のある寺が現れます。江戸時代にはこの辺りは門前町だったようです。

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国道4号線日光街道沿いに山門が開いています。

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▼フェンスができていますが、昔は対の狛犬が並ぶこちらが山門だったのかな?

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▼791年、坂上田村麻呂の開創と伝わるそうです。

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▼参道正面にこの寺のランドマーク。f:id:wave0131:20200708190409j:plain

寺の本尊は聖観音菩薩でが、この巨大な異国情緒っぽい観音様は?

 

幾何学的なシンメトリーな造りの本堂は、場所が違えば寺とは思えません。

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1日の時間によっては陽が射し光り輝くようです。

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▼「円通精舎」の文字は旧幕臣 榎本武揚の書だそうです。f:id:wave0131:20200708190507j:plain

▼「百く(?)んおん」読めませんが、百くわんおん、百観音でしょう!f:id:wave0131:20200708190548j:plain

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寺のHPから首塚説明の引用です。

八幡太郎義家奥羽征伐して賊首四十八をこの地に埋め四十八塚(首塚)を築く、これにより、この地が小塚原と呼ばれる事となった。

 

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小塚原=小塚原刑場跡と誤解してました。

どうやら小塚原は南千住駅前辺りからこの寺周辺までの広域を指すようです。

日本橋を発ち最初の宿場町「千住」の手前は広く何もなく、

広々とした「原」っぱだったのでしょう。

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▼4枚の板碑には「永仁四年」(1296年)の文字が刻まれているそうです。

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▼上野寛永寺の総門(黒門)が明治になってから移築されています。

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寛永寺黒門は上野公園の入口、西郷像への階段の下手前辺りに立っていました。

▼だいたいこの辺りだったのでしょう。

f:id:wave0131:20200708190556j:plain現在は「上野黒門町」という名称だけが残っています。

 

上野戦争で亡くなった彰義隊員を、円通寺の住職が上野公園の西郷隆盛像があるあたりで火葬した縁から黒門が移築されたそうです。

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▼門の正面にあるので新政府軍側からの弾痕でしょう。

門は穴だらけで激戦だった様子が伺えます。

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▼黒門の裏手に、新政府軍側に対する旧幕府軍彰義隊の墓があります。f:id:wave0131:20200708190511j:plain

墓の周りはたくさんの供養碑が建ちます。

▼「彰義隊八番隊長・・」や「遊撃隊長・・」の文字が読み取れます。

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▼「 榎本武揚書」の文字。f:id:wave0131:20200708190327j:plain

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▼こちらが墓でしょうか「死節之墓」と彫られていました。

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▼これは供養塔?

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▼こちらは「吉展ちゃん」の慰霊地蔵です。

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昭和の大事件「吉展ちゃん誘拐殺人事件」は1963年に事件が起こり、

2年以上の捜査の末、

犯人 小原保の自供により円通寺墓地で白骨化した被害者の遺体が発見されています。

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事件は本や映画、ドラマにもなり、この事件を境にマスコミとの報道協定など誘拐事件の取扱い方の変化や、プライバシー問題などが浮き上がってきています。

犯人の身代金を要求する電話の声がTVやラジオで流されるなど、国民的関心事となった事件の被害者は当時4歳でした。

弱きものが犠牲者となるのはいつの時代も変わらないようです。

 

首塚彰義隊の墓、慰霊地蔵と、いささかダークサイドで知られる寺でした。

 

巣鴨とげぬき地蔵「高岩寺」の御朱印(東京・豊島区)〜なぜ⁉️ 若者の参拝者が多くなった

萬頂山 高岩寺巣鴨とげぬき地蔵御朱印

こうがんじ曹洞宗(東京都豊島区巣鴨3-35-2)

 

巣鴨とげぬき地蔵御朱印。(2018年)f:id:wave0131:20200619191833j:plain

巣鴨とげぬき地蔵御朱印。(2012年)f:id:wave0131:20200619191839j:plain

墨書きと朱印の内容構成は何も変わっていませんが、

やはり筆書きの違いで、御朱印全体の印象はかなり違うものになります。

 

巣鴨とげぬき地蔵はその名の通り、山手線「巣鴨」からすぐの所ににあります。

 

▼以下2枚の写真は2012年撮影。当時、境内は年配者が多く見受けられ、納得でした。

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▼もちろん当時も「洗い観音」は「とげぬき」さんを、さておいて大人気でした。

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6年後の再訪問を改めて記事にします。

 

巣鴨駅を出たところの広い通りは旧中山道

 

▼見渡すと派手でチープな「巣鴨地蔵通商店街」のアーチが見えます。昭和の姿をかえていません。

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▼アーチをくぐり、商店街の入口に祠のようなものが出来ていました。

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すがもんのおしり」?

「すがもん」?

名称から察して「ゆるキャラ」のようです。全く聞いていません!

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どの街も自治体も安直に「ゆるキャラ」に熱心です。

すがもん」という名称も安直すぎるけど、とりあえずカワイければ及第でしょうか。

 

その「すがもん」と名付けられたヒルの「おしり」だそうです。

」ではないんですね?

でもアヒルも鴨の仲間。どちらでも良いのでしょうが、カワイイから白い鴨にした?

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巣鴨」の印象も長い時間の中で変化してきました。

今や、とげぬき地蔵よりも赤パンツ塩大福などが話題に上がる

おばぁちゃんの原宿」です。

昼間からカラオケの合唱が聞こえてくる店もあり、そんな元気なジジ、ババには

ひ弱な若者もタジタジ!

 

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おばぁちゃんの原宿」が喧伝される前の当地は

巣鴨プリズン」であり、

隣駅の大塚と競合する都内有数の「ピンクサロン」でした。

イメージとして優等生ではないそれらは、

一時期の歴史として消えて行きました。

 

▼そんなホンの僅かな時間の移り変わりも地蔵は見てきたことでしょう。

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▼若い男子は消えたピンサロには行けず、とげぬき地蔵にやって来ます。

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▼ジジ、ババになる前から巣鴨詣でです。

そんな若者たちを怪訝な顔で見て元気なジジ、ババはタジタジ!

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いったい今の若者はどうしっちゃたんでしょう? 特に男子は!

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女子同士が、またはカレシと寺社にやって来るのは、

悔しくもあり、微笑ましくもあります。

 

▼こうしてカップルが「洗い観音」の順番を待つのも共感は持てないものの理解はできます。

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▼そう、オンナたちの願いと、祈りと、欲望は底知れず深いのです。

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もういい加減、憎まれ口、皮肉はやめます。

 

高岩寺本尊の延命地蔵秘仏ですので本堂でもお目にかかれませんが、こちらにもいらっしゃいます。

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しかし「洗い観音」ほどの人気はなく、洗われることもなく孤独です。

 

▼本堂内の金網の向こうに意味不明な電飾こけし? 地蔵さん?

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タバコは外道の抹香」。仏教の視点で見る新しい禁煙論だそうです。

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▼再び商店街に戻り「赤パンツ屋」さんは素通りして、通りの外れにある「巣鴨庚申塚」を覗きに行きます。

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▼「猿田彦大神」は道案内の神様としても知られていて、中山道の道しるべとして江戸時代には茶店なども出され賑わったとか。

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現在も庚申の日には大勢の参拝者が出るそうですが、いまいち庚申塚、道祖神猿田彦の違いや繋がりなどが理解できていません。

 

▼見ザル、言わザル、聞かザルの三猿も彫られていて余計分からなくなります。

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庚申信仰の「申」は干支の猿でもあるあので、そこは分からなくもないのですが・・

 

▼今ならコロナ去る!を祈ることになるのかも。

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▼コロナ禍の向こうには「幸運」というより「幸い」があることを信じましょう。

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そう、とげぬき地蔵にやってくる男子にも女子にも!

 

 

 ▼「とげぬき地蔵」に向かう途中にある真性寺の記事。

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