▼玉龍山 永昌寺 大聖院の御朱印です。(曹洞宗・茨城県古河市本町二丁目)
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▼大聖院はJR「古河駅」から徒歩数分です。
古河は古くは「許我」と表記されていて「小京都」とも称されます。
「しょうきょうと」という愛称は、
古い町並みや風情が京都に似ていることで、各地で観光目的などで使用されますが、
江戸時代以前の佇まいを残す街を呼びます。
関東には多くはありません。
「東の小京都」として足利市、「下野の小京都」佐野市などがあります。
古河は「関東の小京都」と呼ばれています。
「小京都」に対して
江戸時代 の町並みや風情を残す街を「小江戸」と称されます。
「しょうえど」ではなく「こえど」です。
江戸ですので「小京都」より「小江戸」と称される街が関東には多くあります。
埼玉の「川越」や、千葉の「佐原」、栃木県「栃木」が代表格でしょう。
▼町並みではない大聖院に「小京都」を見いだすのは無理かもしれません。
古河市のHP(www.city.ibaraki-koga.lg.jp)には
古河公方足利義氏の母・芳春院(足利晴氏の妻)が、兄・北条氏康(うじやす)の菩提を弔うために創建したのがはじまりという。その後、晴氏が坂間に再建し、江戸時代に現在地に移っている。
とあるので、
大聖院に僅かに残る「匂い」は「小京都」ではなく「小江戸」かもしれません。
▼寺入り口の門柱を過ぎると「小江戸」の始まりです。
▼境内に入ってすぐ右手にあるお堂は古そうですが、何のお堂か案内もないので不明。
▼「六地蔵」はなくとも、寺には水子地蔵や子安地蔵などが殆どいらっしゃいます。
▼やはり、かなり古い匂いのするお堂がもう一つ。
七福神の幟で「古河七福神」の「弁財天」を祀るお堂だと分かりました。
扁額に「山王宮」とありました。
▼山門と言えるのはこの門でしょうか?
事前知識がなければとても読み取れない、山号の「玉龍山」の額がありますので、
ここが山門です。
▼そして山門の手前に「禁葷酒」の石柱。
日常「葷」と「酒」に塗れた日々を過ごす身にとっては
禅寺を訪問する際にイチバン意識する文字です。
と言って
その嗜みを禁止してるのではなく、拒否するのではなく、
境内に入る時はその穢れを全て清めなさい!
というメッセージだと都合の良い理解をしています。
いや、その理解で全く問題ないでしょう。
▼優美な唐破風造りの本堂は明治期の再建。
▼本堂の額は読めませんが「大聖院」で間違い無いでしょう。
▼鐘楼も時代を感じさせられるイイ形をしています。
「大聖院」という名称の寺は全国にあり、宗派もそれぞれです。
「大聖」と言うのですから優れた「聖人」を指すのでしょうが、
ここ曹洞宗の「大聖院」は本尊の釈迦如来を指すのか、道元を指しているのか分かりません。
しかし「大聖」をググると「仏道の悟りを開いた人の尊称」とされていますので、
やはり「釈迦」を指すのでしょう。
「大聖不動明王」という言葉には馴染みがありますが・・・
▼ということで道元は「禅師」です。
▼推定300年間、寺を見続けてきたケヤキの古木。
ふと立ち寄った「大聖院」ですが、再建された堂宇とは言え、それらがとても歴史を感じさせてくれた記憶に残る寺院でした。
▼「小江戸佐原」の記事はこちら。