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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

大聖院の御朱印(茨城・古河市)〜小京都に小江戸は見つかるか?

玉龍山 永昌寺 大聖院御朱印です。(曹洞宗茨城県古河市本町二丁目)

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大聖院はJR「古河駅」から徒歩数分です。

古河は古くは「許我」と表記されていて「小京都」とも称されます。

 

しょうきょうと」という愛称は、

古い町並みや風情が京都に似ていることで、各地で観光目的などで使用されますが、

江戸時代以前の佇まいを残す街を呼びます。

 

関東には多くはありません。

東の小京都」として足利市、「下野の小京都佐野市などがあります。

古河は「関東の小京都」と呼ばれています。

 

小京都」に対して

江戸時代 の町並みや風情を残す街を「小江戸」と称されます。

「しょうえど」ではなく「こえど」です。

 

江戸ですので「小京都」より「小江戸」と称される街が関東には多くあります。

埼玉の「川越」や、千葉の「佐原」、栃木県「栃木」が代表格でしょう。

 

▼町並みではない大聖院に「小京都」を見いだすのは無理かもしれません。

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古河市のHPwww.city.ibaraki-koga.lg.jpには

古河公方足利義氏の母・芳春院(足利晴氏の妻)が、兄・北条氏康(うじやす)の菩提を弔うために創建したのがはじまりという。その後、晴氏が坂間に再建し、江戸時代に現在地に移っている。

とあるので、

大聖院に僅かに残る「匂い」は「小京都」ではなく「小江戸」かもしれません。

 

▼寺入り口の門柱を過ぎると「小江戸」の始まりです。

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▼境内に入ってすぐ右手にあるお堂は古そうですが、何のお堂か案内もないので不明。f:id:wave0131:20200713141019j:plain

▼「六地蔵」はなくとも、寺には水子地蔵や子安地蔵などが殆どいらっしゃいます。

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▼やはり、かなり古い匂いのするお堂がもう一つ。

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七福神の幟で「古河七福神」の「弁財天」を祀るお堂だと分かりました。

扁額に「山王宮」とありました。

 

▼山門と言えるのはこの門でしょうか?

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事前知識がなければとても読み取れない、山号の「玉龍」の額がありますので、

ここが山門です。

 

▼そして山門の手前に「禁葷酒」の石柱。

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日常「」と「」に塗れた日々を過ごす身にとっては

禅寺を訪問する際にイチバン意識する文字です。

と言って

その嗜みを禁止してるのではなく、拒否するのではなく、

境内に入る時はその穢れを全て清めなさい!

というメッセージだと都合の良い理解をしています。

 いや、その理解で全く問題ないでしょう。

 

▼優美な唐破風造りの本堂は明治期の再建。

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▼本堂の額は読めませんが「大聖院」で間違い無いでしょう。f:id:wave0131:20200713141108j:plain

▼鐘楼も時代を感じさせられるイイ形をしています。f:id:wave0131:20200713141046j:plain

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「大聖院」という名称の寺は全国にあり、宗派もそれぞれです。

「大聖」と言うのですから優れた「聖人」を指すのでしょうが、

ここ曹洞宗の「大聖院」は本尊の釈迦如来を指すのか、道元を指しているのか分かりません。

しかし「大聖」をググると「仏道の悟りを開いた人の尊称」とされていますので、

やはり「釈迦」を指すのでしょう。

「大聖不動明王」という言葉には馴染みがありますが・・・

 

▼ということで道元は「禅師」です。

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▼推定300年間、寺を見続けてきたケヤキの古木。

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ふと立ち寄った「大聖院」ですが、再建された堂宇とは言え、それらがとても歴史を感じさせてくれた記憶に残る寺院でした。

 

▼「小江戸佐原」の記事はこちら。

 

 

熊野神社の御朱印(東京・葛飾区)〜コロナ、ペンタゴン、ポニーの憂鬱

熊野神社御朱印。(東京都葛飾区立石八丁目)f:id:wave0131:20200629125334j:plain

墨書きは「五方山 熊野神社」です。

 

寺院の山号と同じように「・・山」と冠する神社は、

つい最近記事にしたような覚えがあるのですが、具体的な神社名が思い出せません。

 

「・・山」と名乗る神社は珍しいなと感じながらも、

記憶がないのは大して珍しく思っていなかったのでしょう。

 

ブログ記事なんて無責任でも構わない、イイカゲンなものである典型みたいですが、

もともと百科事典を目指して記事にしてるブログではないのでお許しを!

 

ところで熊野神社御朱印におなじみのヤタガラスですが、

立石熊野神社の五角形のトリカゴに入っているスタンプが押された御朱印は初めて目にしました。

御朱印右下のカラスは少し窮屈そうで「出せ、出せ!」とバタついているようにも見えます。

 

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熊野神社は、蛇行しまくりの中川の半島のような位置にあります。

京成立石」の街は、距離的にはそんなに遠くない東京湾岸沿いに住む身ながら、全く馴染みがありません。

それでも民放TVで立石の飲み屋街、商店街は

東京の絶滅危惧種の一つとして度々紹介されますので、目と耳だけは知っていますが、それだけです。

 

▼ところが立石の熊野神社境内はこんな形をしています。

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ペンタゴンです。

となると、立石の飲み屋街や商店街に興味はあるものの、それより先に神社を訪問しなければなりません。

 

何しろは五角形は算数、数学でお目にかかって以来久しく、

▼記憶として新しいペンタゴンはここです。

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日本軍に攻撃された真珠湾に継ぐ、米国の悪夢、9.11 米国に対する同時多発テロのタターゲットの一つにされました。

米国としては屈辱と怒りと憂鬱な記憶です。

 

同じ六角形でも神社は攻撃される事はないでしょう。

 

▼2017年1月の訪問です。

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神門の白い神社幕には五角形に囲まれた八咫烏の神紋が明瞭です。

 

▼茅の輪がまだありました。f:id:wave0131:20200714103716j:plain

茅の輪は本来「夏越の祓え」で1年の前半の穢れを、

年越しの祓え」で1年の間の穢れを落とし、新年を心身共に清らかな状態で迎えるという意味を持つものでしょうが、

最近はその期日期間が曖昧というか、柔軟になっている感じがします。

1年中常設されている神社も見かけるほどです。

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▼2009年に建立された銅製の五重塔

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神社に建つ五重塔は時々見かけますが、金属製の塔は珍しいかもしれません。

2009年の建立にしては新しさは見られませんので、どこかから譲り受けたのかもしれません。

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▼境内の一角にポニー舎。神馬扱いではないようです。

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▼かなりガッカリして憂鬱そうな表情で、作り物のように動きません。

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ポニーのこんな姿は誰しも愛おしく感じるに違いありません。

 

▼2020年5月。憂鬱なコロナ禍の再訪ですので御朱印は遠慮しました。

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神社は平安時代中期、安倍晴明熊野大神を勧請して創建されたそうです。

 

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安倍晴明を題材にしてたくさんの小説やコミック、映画などにもなっていますが、一つも見聞きしていません。

陰陽師として呪術や、当時の科学であった天文道や占いなどに卓越した知識を持っていたそうですが、

その人物像は晴明の死後、神秘化され、創作的な部分も含め伝承によるところが大きいでしょう。

 

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境内も陰陽五行説に習った正五角形をしていますが、

晴明がその形を作ったのか、

晴明がこの地を訪れる前から五角形だったのか分かりません。

 

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また、なぜ晴明が関東にやって来て、

なぜこの立石の地に立ち寄ったのかは千年も前の事なので分かりません。

言い伝えですので詳細は不要でしょう。

 

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晴明が熊野権現を勧請した後は、

悩まされていたこの地域の水害が治ったとも伝わります。

 

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いずれにしても安倍晴明ゆかりの神社は、東京では立石熊野神社が唯一です。

 

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社殿右手に境内社が続きます。

▼小さな稲荷社f:id:wave0131:20200629125434j:plain

香取、稲荷、水神社f:id:wave0131:20200629125438j:plain

天満宮にと小高い浅間神社です。f:id:wave0131:20200629125442j:plain

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▼楠の御神木は300歳以上とか。f:id:wave0131:20200629125520j:plain

裏参道鳥居です。f:id:wave0131:20200629125525j:plain

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ペンタゴンはこんなところにもデザインされています。

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▼今回も五重塔を見上げます。f:id:wave0131:20200629125542j:plain

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▼小型で金属製ながら精巧な造りのようです。

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神社には幼稚園が併設されているのでその関連の公園でしょうか?

五重塔から続く神社の敷地と思われますが、五角形の外です。

▼シマウマはすっかり溶け込んでいます。

イラストですが・・。

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▼何種類かの動物たちが描かれていて、なかなか面白い発想の公園です。

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▼子供達が喜びそうな造形が施されています。

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▼ずいぶんハデなおしっこを飛ばしていると思いましたが、ブルーの網でした。f:id:wave0131:20200629125627j:plain

参拝者の少ない境内と公園を巡っていると

コロナ禍の憂鬱を忘れさせてくれました。

晴明の息吹は少ないものの、五角形の中も外も楽しめる神社でした。

十二社熊野神社の御朱印(東京・新宿区)〜消えて、消えて、さらに消えゆく街

十二社 熊野神社御朱印。(東京都新宿区西新宿二丁目f:id:wave0131:20200713132552j:plain

十二社 熊野神社御朱印(2012年)。f:id:wave0131:20200713132558j:plain

十二社の読みは「じゅうにそう」です。

ほとんどの人は正確には読めません。

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▼十二社 熊野神社新宿中央公園内の西端に鎮座します。

 

▼昔この街に住んでいた時期がありました。

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ニョキニョキと建ち増える高層ビルは一段と勢いを増したようです。

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▼西新宿5丁目は幹線道路から一歩入ると民家やアパートが密集し、細い道路は入り組んでいます。

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▼人のすれ違いもやっとの路地に民家の玄関があります。

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▼数年前まではあった、こんな微妙にカーブする商店街のほとんどの店舗が今では消えています。

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▼「けやき橋通り商店街」も消えました。

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現在では電柱のない綺麗な明るい広い通りになって、

旧けやき橋通り商店街の碑」が立っています。

 

銭湯が消えました。

床屋が消えました。

街中華が消えました。

茶店が消えました。

スナックが消えました。

小さなバーも消えました。

十二社温泉も消えました。

 

再開発により消えて、消えて、さらに消えていく街並みなのでしょう。

笑った、泣いた、喜んだ、悔しんだ がいっぱい詰まった街ですが、

溢れる思い出だけは消えません。

 

時代を遡れば消えたものはもっと多くあります。

▼江戸時代の十二社には大小のが2つあり、さらにまであり遊興地でしたが埋め立てで消えました。

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池もないのに、バス停は「十二社池の下」という名称になっています。

 

明治から昭和までには淀橋浄水場がありましたが、消えて高層ビル群になり、公園になりました。

さらに十二社は戦前まで花街でもありました。

最盛期には茶屋や料亭が100軒ほどあったそうです。

 

神社から「十二社通り」を挟んだ西側になる西新宿4丁目は、

そんな花街の名残りのような旅館や小さなホテルがついこの間までありましたが、

消えました、すべて消えました。

 

消えて変わっていく街の中で神社だけは消えません、大きな変化もありません。

 

▼2008年の熊野神社拝殿。

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▼08年、12年に続いて2019年の訪問です。

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神社近くの交差点は「熊野神社」。

十二社池の下」のバス停から新宿駅までは、昔いつも利用していた経路でした。

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どこの神社も同じですが、境内に入るルートはいくつもあります。

 

▼「熊野神社」の交差点にある交番の裏坂から神社に入るのは裏参道です。

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裏参道ですので木の間に本殿が見えます。

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裏参道から境内に入る門ですが、表参道の方へ向かいます。

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▼表参道から進むと現れる鳥居。

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雨模様の境内に参拝者はマバラです。

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創建は室町時代熊野三山から十二所権現を祀ったことにちなみ「十二社」と呼ばれるようになったそうです。

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▼「令和元年」の御朱印を待つ人々が社務所前に・・。

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▼境内西側にある鳥居脇の階段を降りると十二社通りに出ます。

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十二社通り沿いにあるこちらが表参道です。

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20〜21世紀にかけて周辺が最も大きく変化した東京の神社の一つです。

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満願寺の御朱印(東京・世田谷区)〜劣化した庚申塚とモダン建築の本堂

▼致航山 満願寺御朱印です。(真言宗智山派・東京都世田谷区等々力三丁目)

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御朱印をお願いして戻ってきたのは「玉川八十八ヶ所 第54番」の札所印になりました。

大日如来満願寺の本尊でもあります。

近くの等々力渓谷にある関東三十六不動の明王院等々力不動尊)は、

満願寺の別院になります。

 

御朱印左下の印は「談林所・・・」となっています。

檀林は何度も目にしてきましたが「」の字を使っているのを見るのは初めてです。

檀林談林もは同じ意味らしいです。僧侶の養成機関、学問所です。

 

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▼別院の等々力不動尊からの脚を延ばして参拝しました。

不動尊からは1km弱なので歩いても僅かな時間で到着します。

 

▼寺境内の外になりますが一隅に「庚申堂」がありました。

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かなり古いもののように見えます。

何が彫られているのか分かりませんが、おそらく面金剛をかたどったものなのでしょう。民間信仰の庚申は全く理解できません。

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塚の経歴などは碑銘が摩滅して読み取れないそうです。

▼それでも地域の人たちは、

自前で何回も補修したり移設したりして後々に伝えようとしています。

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江戸時代に盛んだった庚申信仰に、現代では特に熱心な方は少ないでしょうし、

おそらくこの庚申塚を整備した方たちも同様だと思われますが、

なおかつ荒廃するのを黙って見ていられない方達がいることは心強いばかりです。

 

▼17色のアイコンとともに「SDGs」のポスター。寺で貼られているのは初めて。f:id:wave0131:20200702205533j:plain

「Sustainable」という言葉は最近頓に聞くようになりました。

しかし、どうもその中身より、掛け声ばかりが先行しているように思いますが・・。

 

満願寺は1470年、あの吉良氏によって開基されたそうです。

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▼門前の松や、塀越しに見える鐘楼が美しい寺です。

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▼山門は寺にしては端正でモダンな建築です。f:id:wave0131:20200702205433j:plain

高級和風ホテルのエントランスと言っても通用するかもしれません。

 

▼境内に入って山門を振り返りました。f:id:wave0131:20200702205447j:plain

こういうモダンな建物は寺としてなかなか馴染めないのですが、

▼本堂も「数寄屋造りの第一人者である吉田五十八氏設計の昭和を代表する名建築」だそうです。f:id:wave0131:20200702205437j:plain

確かによく見ているとグリーンの屋根の美しいライン、白壁に黒の柱が引き締め役となっていて均整のとれたスキのない顔立ちです。

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▼本堂の扁額は、細井九皋という江戸時代中期の書家の手による書で、細井九皋の墓もこの寺にあるそうです。事後知識ですので墓は見逃しました。

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御朱印は受付の若い女性に気持ちよく対応いただきました。

その後、本堂裏手に見える塔を見てみようと思いましたが、

どいうわけか塔の足元に近づくルートが見つかりませんでした。

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等々力不動尊」の本院の満願寺でしたが、2つの寺の姿は全く別なものに感じられました。

 

満願寺別院「等々力不動尊」の記事。

「渭」の文字にユラユラ潜む歴史 〜青渭神社の御朱印(東京・調布市)

青渭神社御朱印です。(東京都調布市深大寺元町五丁目)f:id:wave0131:20200608172800j:plain

青渭神社御朱印(2013年)。

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令和元年にいただいた御朱印は、その6年前の平成25年と比較すると

延喜式内社調布」や「宮司之印」のスタンプ、朱印がなくなって、

墨書きも月日の漢数字以外は印刷になっていました。

 

チョッと、ザンネン!

 

もっとも「延喜式内社」については、多摩地域に青渭神社は3社あって、

そのうちのどれが「延喜式内社」か、確定されていないそうです。

 

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▼とても珍しい名称の「青渭神社」は深大寺のお隣さんです。

▼2013年の鳥居です。社頭は「式内 郷社」と彫られています。

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▼鳥居の額の文字は読み取れませんが、珍しい龍の彫刻が装飾されています。

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祭神が青渭大神と呼ばれる水神の繋がりから龍が彫られているのかもしれません。

創建は不明。

しかし延喜式の論社となっているのですから、千年は歴史があるということです。

 

▼2019年の鳥居は少し汚れが目立っています。

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撮影カメラが違うので、多分そのせいでしょう。

かもしれませんが、鳥居に限らず風雨にさらされる造築物は

常の手入れや化粧直しを怠ったら、土に還っていくことは間違いないでしょう。

 

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それを思うと、日本の場合の神社や寺は

言い知れぬ困難を乗り越えながらも、何百年、千年を越える年月を耐えてきた寺社が多いのは不思議といえば不思議なのです。

神仏を敬う、畏れるという単純な日本人の精神構造だけで、一千年の時間を維持し残されるものではないでしょう。

 

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青渭神社も、一言では言い現せられない日本人の特質が、

神社という形を現在まで維持できている一因かもしれません。

 

盲いたのかしら? と余計なことを思わせられる造形の「眼」です。

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もちろん、ワタシの眼より狛犬の眼の方が確かで広い視野を持っていることは、

これまでサンザン思い知らされていますが・・。

 

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青渭神社HPからの引用です。

往古は、社前に凡そ五町歩余の境内地があり、大池に滾々と湧き水あり、青波を湛えていた所から青波天神社とも称された。青渭・青波共に水の意であり、『渭』とは広遠に波立つ様を云い水面に打ち寄せる意で、水神様を祀った古社である。

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理解できたような、できないような引用内容ですが、

この地域で今よりもっと豊かな湧き水があったのでしょう。

もともとこの神社の別当寺だった深大寺に湧水があり、周辺に多くの蕎麦屋が昔からあることも納得できます。

「氵」の水が元で蕎麦が作られるようになり

その美味しさは人々の「胃」を満足させてきた歴史だけは確かでしょう。

 

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青渭神社のHPからの引用文内に「五町歩余の境内地」とあります。

かつての社地と言うことでしょうが「五町歩余」がどれほどの広さかは

農業従事者ならすぐ分かるかもしれませんが

おおよそ サッカーピッチ5面分ほどだそうです。

ボールを追いかけ駆けずり回るには広すぎです。

 

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狛犬ほどの探索眼を持たない身には、この神社でほかに撮影対象が見つかりません。

 

▼神社入口の道路ぎわに立つケヤキの大木まで戻ります。

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樹齢数百年、江戸名所図会にも紹介されている巨木ですが、まだまだ壮年だそうです。f:id:wave0131:20200608172813j:plain

しかし、何本もの支え木なしには自立できないようです。

▼何しろこの角度ですから。f:id:wave0131:20200608172809j:plain

うろが「ハート形」をしているので若いカップルに話題とか。

 

自然の造形はいろいろな形を創り出します。

狐の形をした枝や、根元は男根や女陰などもありますね。

どこもパワースポット呼ばわりされているようです。

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幕末に深大寺の火災により類焼した青渭神社ですが、このケヤキは無事に生き延びたそうです。

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