▼明顯山 祐天寺の御朱印。(浄土宗・東京都目黒区中目黒五丁目)
2020年7月時点では
「南無阿弥陀仏(筆書き)」「南無阿弥陀仏(祐天上人書写のスタンプ)」「累塚」の
3種類の書置き御朱印が用意されていました。
▼祐天寺 累塚(かさねづか)の御朱印。
▼祐天寺の御朱印(2014年)。
祐天寺の本尊でもある祐天上人の名号書写による書体がモデルの御朱印ですが、
中央の一番下の文字「南無阿弥陀仏 祐天◼️」の◼️が読めません。
数年前にいただいた御朱印を改めて見て、今更気づきました。
ちょっと気になります。
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▼東急東横線「祐天寺」という駅名にもなっている寺院です。
東京の人間が「祐天寺」と言う時、寺そのものを指すのではなく
ほとんどが地名や駅名を示します。
目黒区内でも中目黒に次いで「住みやすさ」ランキングの高い街です。
もっとも目黒区全体が23区内で「住みたい街」のランキングが
港、世田谷に次いで3位と言うことなので、
オシャレでセンスが良く、治安も良いイメージが固定しているようです。
もっとも住民自身がオシャレでセンスも良いと言えるかどうかは別かもしれません。
▼祐天寺「表門」は駒沢通りに面しています。
2014年撮影の「表門」と「仁王門」です。
▼2020年の再訪です。
2014年の訪問時は寺に関して「浄土宗の寺」という以外、何の知識もありませんでしたが、その後と今回の訪問で少しだけ寺を理解することができました。
▼表門を入ってすぐ左に建つ「地蔵堂」は1788年の建立。
▼古そうな手水に彫られているのは鳶職の組名でしょうか? 「鳶若者中」とあります。
▼地蔵菩薩の化身とも語られる祐天上人の「開山堂」とも言えるお堂のようです。
▼1735年建立の仁王門は、将軍綱吉の養女竹姫より寄進されたそうです。
綱吉の母 桂昌院をはじめ大奥の帰依のあつかった祐天上人ですので、寺も何かと将軍徳川家と所縁が深かったようです。
名前に「天」の文字がつく高僧は「天海」と「祐天」のほかには知りません。
「天」は「人の上」にある存在、「人を超えた」存在を表わしますが、
「天海」は「空海」を意識したように感じられる名前です。
「祐天」の「祐」は「人を助ける」意味もあるそうです。
▼御朱印にもなっている祐天上人書写の名号が彫られています。
1637年生まれの祐天は12歳で増上寺に入ったそうですが、当時は暗愚のため経文も覚えられず破門。
その後、成田山新勝寺の不動尊に知恵を授かった後は秘めていた力を発揮でき、
伝通院や増上寺の住持となったそうです。
その間も「南無阿弥陀仏」の名号を書写し多くの人々に授けたそうで、
時代を遡って鎌倉時代の時宗 一遍上人の「念仏札」を思い起こさせられます。
▼水屋はいくつも現れます。
▼「阿弥陀堂」も仁王門同様、竹姫の寄進だそうです。
全国の有名寺院は、時の将軍や大名の寄進が多いのですが、ここは「姫」の寄進です。
「姫」がどれだけ、何をもって仏教を重んじていたのか、
また「姫」が左右できる金銭の大きさや力に驚くほかありませんが、
肩書きだけの使用だったかもしれません。
▼阿弥陀堂の隣は稲荷社。
▼表門からの参道を真っ直ぐに進むと正面に祐天上人像が安置されてる「本堂」です。
火災に見舞われているので明治期の再建だそうです。
▼江戸消防記念会の奉納額。
▼こちらも江戸町火消し組紋のようです。
「火事と喧嘩は江戸の華」「その華は町火消し」と言われていました。
ここ祐天寺も江戸時代から消防組織と縁が深いようです。
▼仏舎利殿はごく最近建てられたもののようです。
▼建物下部の巨大な絵馬は、歌舞伎でも有名になった「累塚」伝説の絵解きです。
「累(かさね)」は江戸時代の女性の名前。
江戸三大幽霊「東海道四谷怪談」のお岩、「播州皿屋敷」のお菊とともに名を連ねています。
と言ってもこのランキングに「牡丹灯籠」のお露が入ることもあります。
累伝説は祐天が累を救う物語です。
祐天は怨霊に襲われていた者達を救済、その怨霊までも念仏の力で成仏させたという伝説があり、江戸時代を代表する呪術師という側面ももっていました。
その祐天上人の墓は、境内の東に位置する墓地に建ちますが写真は撮り忘れました。
▼御朱印をいただける「累塚(かさねづか)」です。
▼鐘楼は6代将軍 家宣の17回忌のため、1729年に正室の天英院が寄進したそうです。
やはり将軍家との繋がりが固い寺のようです。
▼地蔵菩薩像は、地蔵堂の地蔵菩薩像を石で模刻したものだそうです。
▼地蔵縁起碑は祐天上人が地蔵菩薩の化身であることが記されています。
もっとも「化身」とは書かれず「本地身」と言うのだそうです。
▼松の木の枝越しに見える美しい書院。
▼御朱印はこちらの寺務所でいただけます。
広い境内ですので、色々見逃したものも多かったようです。
眠る「累」そして
眠る「祐天」と徳川家、消防などの関わりが少し理解できた寺でした。