久遠山 栄閑院の御朱印
「えいかんいん」浄土宗(東京都港区虎ノ門3-10-10)
▼栄閑院の御朱印です。
人当たりの良い住職に気持ちよく対応いただきました。
▼由緒書きもいただきました。
▼御朱印は本堂左手の庫裏をピンポ〜ンします。
▼玄白の墓、猿の場所、御朱印について丁寧な案内があります。
▼庫裏で返事がなかったらこの鐘をカ〜〜ン!
▼庫裏の玄関内では絵葉書などの案内もありました。
▼寺へは地下鉄「虎ノ門」「虎ノ門ヒルズ」「神谷町」のどこから歩いても数分。
というより「出世の階段」で有名な「愛宕神社」の裏と言ったほうが分かりやすく、
いわゆる「愛宕山裏」ですが、小さな寺院が点在する地区で、週末のこのあたりは都心ながらとても静かな姿をみせています。
▼「山門」は冠木門に屋根を設けたような造りで堂々としていました。
黄色い塀も良い雰囲気を醸し出しています。
▼分かりやすい「さる寺」と「都史跡 杉田玄白墓」の石柱。
▼「さる寺」と呼ばれる寺は全国に見られます。
東京でも「さる寺」がいくつかあるようです。
もちろん、それぞれ伝承や逸話があるのでしょう。
「見ざる 言わざる 聞かざる」の三猿や、
日吉神社の「神猿(まさる)」などは神社でも見られますように、
猿は縁起が良いとされるのは、
「困難、苦難が去る」「病気が去る」「悩みが去る」などの語呂合わせも人気になる要因なのでしょう。
▼本堂前で狛犬ならぬ「狛猿」のごとく左右一対の猿像が見張っています。
片方の猿は「桃」を抱えています。
「桃」は古来貴重な食べ物。「不老不死」や「長寿・繁栄」を意味するそうです。
▼「猿の惑星」に出演していそうな猿で、妙にどこか人間臭いです。
▼猿は本堂屋根上の両端にもいるそうですが、木々に覆われ確認できません。
▼向拝は、よく見ると猿が見つけられます。
「栄閑院」は江戸時代初期に、近隣の「天徳寺」の塔頭として創建されています。
「猿寺」と呼ばれるのは、wiki から引用です。
猿まわしの泥棒が当寺の住職によって改心し、猿を残して、諸国行脚の巡礼に旅立った。残された猿は、当寺の飼い猿としてかわいがられた逸話からきている。
▼本堂右横から屋根付き門をくぐり墓域に進みます。
▼本堂横のわずかな狭い通路を進みます。
▼突き当たりの右にすぐ見つかり「杉田玄白」が眠っています。
教科書に必ず載っていて誰もが知る「杉田玄白」です。
▼墓石は特に特徴のないのですが、四角く、低く、大きく、どっしりとしています。
墓石の後ろに立てられた卒塔婆には
玄白の戒名「九幸院仁誉義真玄白居士」の文字が読み取れ、
墓石には「九幸杉田先生之墓」と彫られています。
▼見上げれば「愛宕山」がモクモクとした緑が覆いかぶさってきます。
▼片やを目にすれば高層ビル。玄白が生きていたら「解体」してみたい対象でしょう?
様々な著名人が様々な寺で眠っています。
以外にも小さな寺で眠る、ある時代の大きな巨人の墓は感慨深いものがあります。
▼墓域から戻って、広くはないですが境内を見回してみます。まずは「大黒天」。
▼こちらは「薬師如来」の石像。
▼釈迦のストゥーパかもしれません。由緒には「釈尊安座納骨塔」とされています。
▼おそらく釈迦でしょう。
▼その左にすごい緻密な彫りの石像。
来迎図のようにも見えますが、壺を持っています。 薬師如来? 分かりません!
▼そして「猿塚」です。太宰治と関係があるのでしょうか? こちらも不明。
▼何でもありの様相を呈してきて「福禄寿」は、良い味の色になっています。
▼おなじみ「水子地蔵」たちも勢揃いです。
狭い境内ながら綺麗に整えられ、目を捉えられるモノ多しです。
メダカやオタマジャクシも住んでいるようで
「見るだけにしましょう」と、寺側の優しい言葉が書かれていました。
様々な手書きの案内で、ほかでよく見かけるような「禁止」事項ばかりではない言葉は寺側の人柄が伝わってきます。
猿に出逢え、玄白に出逢い、
優しげな住職に逢える「栄閑院」です。
▼栄閑院に覆いかぶさる山の神社記事。