▼会津若松鶴ヶ城でいただいた御朱印。(福島県会津若松市追手町)
この印をいただいた当時はまだ「御城印」と呼ぶのは一般的でなく、寺社でいただくものと同じように「御朱印」と呼んでいたと思います。
2015年当時で城の朱印をいただけるのは、ここ鶴ヶ城と松本城だけだったように記憶します。
現在では「城」「鉄」のほか、競馬騎手の「ジョッキー印」や美術館などの「ごミュ印」というのもあるとか。
飛び火というか延焼・類焼状態の御朱印ブーム!
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▼鶴ヶ城稲荷神社は城内の北側に位置しています。
震災時では熊本城のように大きなNewsになっていなかったので、鶴ヶ城の被害は少なかったようです。
震災当時リニューアル中だったような記事も見ましたが、確かな情報は把握はしていません。
基本的に城には大きな興味がありませんでした。
御朱印をいただくようになってから興味も少し変化してきました。
寺社の歴史を知る時、各地の城も外せないことも度々ありますからね。
ハッキリしないものがもう一つ。
鶴ヶ城とのご対面は2度目かも?かも?
というような覚えは希薄なのですがいや、やはり2度目。
最初の会津若松への旅は電車でした。
同行した男どものせいか、自分の軽薄さのせいか、浅草から出た電車が何処で乗り換えがあったのか、無かったのかさえ覚えがありません。
若松の駅に降り立った時、脚はフラフラ、気持ちはヨロヨロ、眼はオドオド、頭はスカスカでした。
酔っていました。車内のビールで出来上がっていました。たかがビールですが・・。
その頃はアルコールに弱かったのです。
あれから何年? 今でも酒には強くないものの、
「せんべろ」を2、3軒はイケるくらいに「成長?」しています。
「成長?」する前に降り立った駅から若松城に向かったようだわ、よう、なのです。
その道程どころか、向かった先の城さえ明確な記憶がないわね。
明確ではないが見たような、見てないような、心許ない記憶の城は曇っています、グレーでした。
▼微かに瞼に蘇る色は、こんなに白く、志村のバカ殿のようではなかった。
記憶がどこか他の城と混同しているのかしら?
真っ白じゃないか! これでイイのか?
あまりの白さは、西の白鷺城も物議を醸しています。
だが城はシロかクロです。これでイイのでしょう。
それにしても、日本の長い歴史の上では、
ついこの前、そんなに遠くない出来事として、
会津を守るべく、八重がスペンサー銃をぶっ放していた事実を、この城の白さと重ね合わせて思い起こすのは、難しいわね。
▼稲荷神社ですが、この城に散った人々の霊に合掌。
▼鶴ヶ城を最初に訪れた頃より「成長?」したので、夜ご飯は居酒屋です。
▼最初の一杯はビンビール!
「成長?」してるのでビンビールの2、3本では酔いません。たぶん!
しかしビールだと他のものが食べられなくなります。
この後は麦焼酎のロックにして
▼「さくら刺身」。
馬刺しですが、入った店のメニューでは「さくら刺身」とされていました。
美味しかったものの、好みとしては少し柔らか過ぎでした。
▼「シメサバ」は呼び名に違いはありません。
こちらは好みにピッタリ、絶妙な締め具合。
まぁ、麦焼酎は3杯でやめときましょう。
このくらいなら、鶴ヶ城が白過ぎだったことを忘れないでしょ。