朱印は見開きで押されていました。
300円とのことでしたがワンコインを受け取っていただきました。
御朱印代は代金、初穂料、志など様々な言い表し方がありますが、その具体的な金額についても各々の寺社で考え方が異なります。
東京の神社の場合などは見開きでなくとも、ほぼ500円と思った方が無難ですが、ここの神社のように「見開き300円」は今時ほかではあり得ない、と不思議に感じさせられます。
個性的と言える達筆で、道真の歌が丁寧に揮毫されていました。
「杜の都の天神さま」
「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」
目を閉じて道真の心中を探ります。
理解できたつもりでも、ほぼ誤解しているのでしょう。
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▼いい雰囲気の山門をくぐると、いくらか素っ気なさと荒れ気味なイメージの参道が続いています。
▼イベント用の電線でしょうか? かなりジャマクサイ感じです。
▼「薬師堂」。
多くの国分寺は本尊が釈迦如来ですが、薬師如来の場合もけっこうあります。
▼しかし、こここも「お休み」でフラレました。今回の旅で4ヶ所目かしら?フラレっぱなしのワタシは恨みもせずに参拝だけして、あとの行動は「お休み」とします。
▼「榴岡天満宮」に向かいます。
「榴岡天満宮」は「つつじがおかてんまんぐう」と読むそうです。
当初は「ざくろがおか」と読んでいました。
「榴」の字を「つつじ」と読ませるのですから、一般的には無理があります。
「つつじ」は、普通「躑躅」です。どちらにしても難しいのですが。
この辺は古代にはツツジが咲き広がる地域として、都にもその名が広まったそうです。
しかし「躑躅岡」では読みが難しい。
そこで同じ赤色をイメージする「榴」が使用されたそうですが、赤色をイメージするならもっと他に易しい字がありそうなものですから不思議です。
「榴」はかなり無理がある転用ですが、それによって更にややこしく、難読にさせてしまったようにも思います。
とは言っても「榴岡」は駅名や地名にもなっているので仙台の人々は普通に「つつじがおか」と素直に読めるんでしょう。固有名詞なんてある意味、記号でもあるわけです。
▼道真を祭神とするからでしょうか? 古そうな筆塚もありました。
▼筆塚の後ろに御朱印に使用されてる「東風吹かば・・・」の歌碑。
「飛び梅」の伝説も残る道真の歌ですが、彼が左遷された当時の福岡は都に比べれば全くの僻地。
もっともっと後に造られた太宰府天満宮なんて当然無かったし、祟りたくもなる彼の悲嘆が見えるような文字が並んでいます。
この神社は桜でも有名なようですが、境内は整備中で少し雑然としています。
参道左右のグリーンは桜の木だったのでしょうか?
▼おなじみ「撫で牛」。
天神さんと牛の関係は多くの言い伝えがありますが、道真が丑年、丑の日、丑の刻に誕生したからと言うマユツバものの面白い関係も言われています。
色々言い伝えはありますが、道真と牛には何らかの繋がりがあったことは確かなのでしょう。
その後、ストーリーテラーが「なるほど」と唸るような物語を作り上げ、長い間のうちに、おかしな言い回しですが「本物の伝説」となるのでしょう。
朱が目に眩しい唐門も、一転サビサビとした形の美しい幣拝殿とイイ調和を保っていて違和感ありません。
工事中の境内が整備され、カラーコーンなどが取り除かれれば、厳かさも一段と増し、素晴らしく見応えのある神社となること間違いないでしょう。
何しろ寺社にカラーコーンほどふさわしくないものはありません。
▼「天満大自在天神」の扁額は初めて目にしました。あるいは忘れてしまったかも。
▼社務所の内部はは長椅子も設けられ、キレイで広々としていました。
▼そして、この大きな通行手形のような、絵馬のような札を受取り、御朱印を待ちます。単なる数字だけの番号札より、なんとも気の利いた引換え札です。
何ということはないかもしれませんが、このアイディアはここ「榴岡天満宮」だけのように思います。
アッパレ!!!!