鹽竈神社の御朱印
神社名は易しく書くと「塩釜」。
御朱印はシンプルですが、志波彦神社の朱印とともに日付は一つですので「見開き」扱いということでしょう。
▼御朱印帳もシンプル。通常の小型判です。
▼東参道へは「本塩釜駅」から僅かな距離です。
▼訪問前から陸奥国一宮 鹽竈神社は、こんなイメージを抱いていました。
間違いなく、ネットなどで目に焼き付いている石段の神社です。
しかし30℃の表参道階段へは足が向かない。写真だけ撮って駐車場へ。
▼駐車場のある東参道方面から向かいます。
▼神社の博物館は拝観料200円、スルー。
▼すぐ近くに産業遺産「鋳銭釜」。
焼き芋用の釜ではありません。塩釜でもありません。
仙台藩が明治までこれで銅銭や鉄銭を鋳造していたそうです。造幣のお仕事?
▼東側の裏坂から境内に入ったので「志波彦神社」の鳥居が先に現れます。
同一境内に2つの異なる神社は珍しいのだそうですが、長野と群馬の境にある神社は、両県で拝殿を二分している。神社名も長野側が「熊野皇大神社」、群馬側が「熊野神社」としている。
珍しさでは社殿を二分している長野・群馬の神社の方が上。
▼「神龍社」は神馬がいらっしゃるはずですが、留守でした。
「金龍号」という神馬が10年前に亡くなっている案内が出てましたが、現在は後釜がいないのでしょうか?
▼「志波彦神社」に進んでみます。
▼優美にも豪壮にも見える朱色の手水社。
▼「神門」まで僅かな参拝者としか出会いません。
真夏の正午頃ですから、どちらかというと敬遠されそうな気温30℃。
「延喜式内明神大社 志波彦神社」は「志波彦神」が祀られています。
農業守護や殖産・商工業の神様として崇敬されているそうです。
拝殿は「朱黒の漆塗り」が施されているそうです。
「朱黒(しゅぐろ)」とは灰色に朱色を混ぜたものを言い、蒔絵などにも使われる塗料です。
ハデハデな朱の社殿と、ワタシの好みの少し落ちついた朱色の社殿の両方を見かけますが、なるほど「朱黒」と言うのですね。またひとつ「お勉強」になりました。
▼振り返れば「朱黒の神門」。カラッポの境内でしたが、言い換えれば独り占め?
▼本命の「鹽竈神社」側に進みます。
▼「東神門」をくぐり表参道石段上まで移動します。
▼表参道の急な石段を覗き見てみます。みなさん果敢に階段を上下。
でも今日は止めときます。
石段を見るとほとんど登らずにいられませんが、気分じゃない時もあります。
▼石段を登ってきたつもりになって、正面の「隋神門」までの階段を上がります。
呼び名は「隋神門」であり、「楼門」でもあるようです。
▼こちらは「朱黒」ではなく、純な「朱色」のようです。
▼隋神門をくぐると左手に末社が稲荷、住吉、八幡、神明社と並んでいます。
▼大きな狛犬は「何者?」と問いたくなる、かなりユニーク顔。どこかの神社で見たような覚えがあるんだけど、どこだったかは思い出せない。
▼ここにもいらっしゃいました「撫で牛」。
▼華美な「唐門」はハデな極彩色。こちらは多くの参拝者が見えます。
▼「一宮鹽竈三社大明神」、三社です。
▼唐門をくぐると正面に「左右宮」。拝殿に2つの扁額。
▼向かって左が「右宮」。本殿側から見ての左右です。
▼向かって右が「左宮」。本殿もそれぞれ左右にあるそうです。
▼上の左右宮の右手直角に「別宮」があります。こちらがいわゆる本宮のようです。
右宮、左宮、別宮と不思議な三宮です。別宮には「鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)」が祀られています。
▼「別宮」の別は、別荘ではなく、特別の別、スペシャルだそうです。
▼1809年、伊達九代藩主が蝦夷地警護の凱旋の際に寄進した燈籠だそうです。
よく見るとスゴイことになっている、不思議で奇怪な動物たちで溢れる文化灯籠です。
▼境内は暑いけど爽やかな眺めにあふれています。
▼海や漁港が近い神社で時々見かけます。
▼印象に残る「エメグリ」です。ほぼ補色関係のコーディネートでも下品じゃない。
さすが一宮ですが、 No.1クラスの素晴らしい神社でした。
▼一宮から少し離れていますが、塩竃神社の境外社「御釜神社」にも寄ってみます。
小さな境内です。社務所はお留守のようでしたので、参拝だけにします。
▼400年前、芭蕉はここにも詣でているようです。50歳の脚は好奇心旺盛なのです。
▼東京・新橋に鎮座の「鹽竈神社」の記事。
▼ほかの「陸奥国一宮」の記事です。