▼太閤山 常泉寺のご首題。(日蓮宗・名古屋市中村区中村町木下屋敷)
豊国神社は「豊公誕生之地」の印を押し、
常泉寺は「秀吉公誕生地」「太閤誕生地」と御丁寧にも二つの印が押されています。
秀吉の生誕地の話は後にしましょう。
2013年の同じ日にいただいた御朱印と御首題です。
20年の現在は両寺社とも月替りや月命日限定とかの御朱印と御首題がいただけるようです。
全体的に愛知県は、数年前から一気に
ハデハデ御朱印を授与する寺社が増えたと感じています。
コロナ禍の2020年の実情は分かりませんが、名古屋は「ハデ婚」で知られています。
「ガラス張りのトラックに嫁入り道具をイッパイ詰め込んで、街中にひけらかし、練り走る」
という陳腐な光景をTVなどで目にしたことがあります。
少し以前の事で現在も、そんなスタイルがあるのかどうかも分かりません。
いずれにしても見栄っ張りで、ハデ好きな名古屋人の性格を表し「ハデ婚」に変化はないようです。
名古屋人というか、その周辺や愛知県人全体に言えることかもしれません。
そんなハデ好きな名古屋ですので「ハデハデ御朱印」が蔓延るのも、理にかなっているようにも思えます。
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▼豊国神社と常泉寺は隣接しています。
秀吉が特に賭け事が好きだったわけではないでしょうが、名古屋競輪場が同じ公園内にあり、競輪開催日は車券目当ての、それらしき人たちの姿が多くみられます。
また神社と寺が隣接しているので、常泉寺は別当寺かと思いきや、全く関係ないようです。
というのも豊国神社は、当地で秀吉を祀る運動が盛んとなり明治に入ってから建立され、一方、常泉寺は1606年の創建と伝わるからです。
▼地元の有志により建立されたものなので、京都や大阪の豊国神社と比較すると、社殿は小さく、秀吉を祀るにはジミとも言えます。
ところで御朱印・御主題ともに「秀吉の誕生地」とハッキリとスタンプが2つも3つも押されていると、自分の記憶に自信が持てなくなります。
確か秀吉は言い伝えは様々あるものの、正確な出自は不明なはず。
生母の北政所は確かですが、父親は確定されていません。
▼有志か、区か、市が建てたものでしょうか?「豊公誕生之地」の石碑。写真(豊国神社)
▼境内に「豊太閤産湯の井戸」がある常泉寺の山門。
出自は不明なはずの秀吉ですが、立派な「石碑」が立ち「産湯の井戸」があるのです。
神社では「生誕祭」も旧暦1月1日に執り行われるそうです。
多くの物や行事が「誕生地」として既成事実化されているかのようです。
もしかしたら後世に歴史を伝える、ある一面かもしれません。
地球ルールをモノともしない現在の中国の既成事実化の動きを思い出させます。
それでも秀吉は「この辺」で生まれたことに異論はないようなので、
「誕生地ではない!」と、目くじらを立てる人もいないのでしょうが、
歴史教育的観点から見ればおかしいかもしれません。
それにしてもさすが派手好きな秀吉ですので言い伝えも多く、
常泉寺は加藤清正が秀吉を祀るために創建したとも伝えられ、11歳の秀吉手植の柊も植わっています。
その加藤清正は豊国神社に摂社清正公社が建ち、
常泉寺の南隣り、同じく日蓮宗の妙行寺が出生地としてされています。
境内には清正像もあるそうです。
「秀吉のみぞ知る」正確な誕生地は、清正なら知っていたかもしれません。