▼天聖稲荷大権現神社の御朱印。(神奈川県足柄下郡箱根町須雲川)
よくわからない宗教法人3つ目の御朱印となりますが、
直書きにしろ、書置きにしろ至極まともで達筆、スタンダードな御朱印の体裁でした。
天聖院に始まり天狗神社、稲荷大権現神社とも
その境内と建物はハデハデ、金ピカ、奇妙キテレツでしたが、御朱印はマトモ。
昨今、御朱印収集者に人気のイラスト入り、金ピカ、キテレツな御朱印を授与する
ほとんどの寺社のその境内、建物、由緒はマトモなはずです。
おかしなもので天狗神社を中心とする箱根の3社は、
巷の寺社外観と御朱印の「みてくれ」が逆になっただけなのです。
箱根観音も玉簾神社も「金ピカ」の御朱印、縁起符でした。
天狗神社を中心とする3社の記事は批判的な言葉を多く並べてしまいましたが、
「金ピカ」の御朱印をいただいている身では何の批判もできません。
「金ピカ」「ハデハデ」でアピールする姿は、御朱印も寺社の外観も、その目的は大きく違わないかもしれないのです。
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▼天狗山神社から県道732号、旧東海道をさらに登ると左手に鳥居が見えてきます。
逆方向に畑宿方面から下ってくると神社の鳥居は右後ろになり、見逃してしまうかもしれません。
▼大天狗山神社を中心とする宗教法人の3施設の位置関係です。
3つの施設を歩き通しても1.5kmくらいです。
ただし巡る順序によって上り坂か、下り坂になります。
▼天聖院、天狗神社に負けず劣らずハデに出迎えてくれる鳥居です。
▼夥しいキツネたちが訪問者をチェックしています。
▼長々と記されている「天聖稲荷大権現様由来 〜当神社の宮司との出会い」。
長文の内容は、宮司の生い立ちが大半を占めていて、
その部分は理解できるものの疑問も湧いてくる「由来」でした。
▼境内を囲む塀の上もキツネたちがパレード行進しています。
▼灯篭の装飾彫刻は精密複雑なデザインが施されています。
ここにきて、ふと感じました。
天狗山神社を中心とする1宗教法人が建てた3施設の建設費はハテサテどのくらい?
3つの施設ともバブル期に建設されたとはいうものの、潤沢な資金があってこその建立でしょう。
惜しげもなく使われた費用、ボンビーにはドヤ顔のキツネさまに敬服するばかりです。
▼鳥居の先に伸びる石段の正面が社殿のようです。
▼しかし、ここでも撮影禁止は3施設とも共通しています。
▼されど、ここでもキツネさまにお叱りと罰を授かる覚悟で少しだけ撮影です。
だって最早、Google Mapにはたくさんの写真が掲載されています。
それにこの3施設が徐々に好ましい対象となってきましたので、勝手にPRする事にします。
何かをひとえに信じ、その信じる姿をカタチに表していく一途な姿は、真摯であると言えなくもありません。
もう多くは語れませんし、境内の展示物が何を意味するかも問わないことにします。
▼ガラスケース内に大きなミドリ石に注連縄。
撮禁である必要はないと思いますので、
大いにコマーシャルしたいところですが、やはり写真の数は遠慮深くします。
▼ガラスの内側にお菓子の山。
▼おタカラの山。どれもガラス越しに「拝観」することになります。
▼そしてエンジェル。
「幼神」すなわち暗いイメージの水子を、明るく可愛くイメージした姿なのでしょう。
▼奥は「宝物殿」ですが、そんな建物はなくても境内全体が「おタカラ」に埋め尽くされています。
3施設を巡り、
今、キテレツ感とともに親しみを感じるように変化し出したこの寺社ですが、
この施設の50年後、100年後を思うと、きっと違和感、不思議さは全て払拭されていることでしょう。
いにしえより山の神、川の神、海の神、田の神、古木も巨岩もすべて神が宿るとしてきた日本人は、
当初「神社」という建物ができた時は、さぞかし奇妙奇天烈だったに違いありません。
当時としては目新しく立派ではあるものの、
人間が作った建物に神を鎮座させるなど考えられなかった事だったはずです。
すべては時が流れる中で敗退するもの、熟成されるものなどと大きく変化していくのでしょう。
▼このキツネ君が苔むす頃、人々が3施設を見る眼と、神仏を信じる心は現在とは確実に異なっている事でしょう。
この施設が展示する物理的なおタカラが、
奉納者や訪れる参拝者の「心のおタカラ」へと進化されることを祈ります。
「箱根の霊山」に未来あれ!
最後にもう一つ。
同じ神奈川県に「箱根大天狗山神社 秦野大護摩会場」があり、
さらに
天狗山神社と親戚のような施設があるそうです。