少彦名神社の御朱印
「すくなひこな じんじゃ」主祭神:少彦名神(大阪市中央区道修町2-1-8)
中央上の印は「定給療病方 咸蒙其恩頼」で当社の注連柱にも刻まれています。
意味不明ですが、日本書紀に出てくる言葉だそうです。
▼基本御朱印のほか、いくつかの限定が案内されていました。
最新情報・詳細は「御朱印・ 御朱印帳 – 少彦名神社(神農さん)」を参照ください。
▼当社は「道修町」に鎮座します。坐摩神社から1.5kmほど歩きました
▼大阪に土地勘のない関東人ですが「道修町」の名称は知っています。
江戸時代からの「薬の街」で、現在も製薬関係の企業が約150軒ほどあります。
東京に置き換えると「日本橋本町」になるのでしょう。
町の名称は知ってはいましたが「どうしゅうまち」と間違って覚えていました。
この町に来て初めて「どしゅうまち」が正解だと知りました。
▼その「道修町1丁目」交差点角に気になる建物がありました。
▼昔の薬種問屋でしょうか?
▼「コニシ」???
▼誰もが知っているこの製品の会社でした。(写真は「ボンド」)
「コニシ」は元は薬種商「小西屋」として創業されています。
今や合成接着剤メーカーとして有名ですが、
社名は意識されず品名の「ボンド」で通用している会社でしょう。
▼建物は明治36年に建てられて旧社屋で、現在は資料館となっているそうです。
▼そして関東人が「道修町」の名称を知っているのはこの作品です。
映画やTVなど数多く映像化されています。
薬種商の次女「春琴」と「小西屋」の時代は少し異なりますが、
▼丁稚「佐助」が盲目の春琴の手を取って歩いている姿が目に浮かぶような風景です。
「少彦名神社」の入り口にある
▼「春琴抄の碑」は「日本近代文学史上屈指の名作」としています。
▼さて神社の入口には別称の「神農さん」の看板があります。
「神農さん」とは「神農大帝」と尊称され中国の医薬と農業を司る神だそうです。
もともと道修町に祀られていた「神農さん」に
さらに1780年、薬の安全と薬業の繁栄を願うために、京都の五條天神社より少彦名命の分霊が勧請されたのが当社の起源です。
▼入口脇に「金の虎」が吠えていました。
日本医薬の祖神・少彦名命と中国医薬の祖神・炎帝神農を祀る日本医薬総鎮守ですので
▼「疫病退散」は真実味が増します。
神社は思っていたよりかなり小さな神社でした。
▼参道も建物に挟まれ窮屈でした。
▼参道奥に「鳥居」。
▼鳥居をくぐるとすぐに「拝殿」です。疫病退散を祈ります。
▼張子の虎は2022年の干支かと思いましたが、全く違いました。
江戸末期に大坂で「虎狼痢(コレラ)」が流行した際、
疫病除薬として虎の頭骨などの和漢薬を配合して「虎頭殺鬼雄黄圓(ことうさっきうおうえん)」という丸薬が作られました。
病名と薬に「虎」の字が当てられていたことから薬とともに「張り子の虎」がお守りとして配られました。
現在も「置き守」などとして「張り子の虎」が授与されています。
▼拝殿本殿も圧迫感あるビルに囲まれてしまっていますが、明治に造立された社殿は大阪大空襲の被害から逃がれられています。
▼「五社明神」は極狭い境内ですが一応境内社でしょうか?
提灯の「永久照明」の意味は「不滅の法灯」に近いのでしょうか?
▼大黒さん、七福神の皆さんも勢ぞろい!
やはり病気平癒などの願いが多い絵馬がたくさん掲げられている参道脇の通路を通って
神社を出ます。
9歳の時に失明した春琴のために、家人や佐助がこの神社の医薬の神に祈ったかもしれません。
しかし、小説はすべて創作。そんな記録もなく、描写もありません。