▼松島神社内 大鳥神社 「二の酉・2021年」の御朱印です。
(東京都中央区日本橋人形町2-15-2)御朱印はプリントの書き置きでした。
右上「二の酉」はスタンプ捺印のようです。日付は墨書きいただけました。
祭神の中に「天日鷲神(あまのひ わしのみこと・大鳥大神)」が祀られていることから、酉の市が開かれ、「人形町のおとりさま」とも呼ばれるそうです。
神社印も「松嶋神社」となっています。
▼ 松島神社 の御朱印。(2018年)
「松島」の文字は旧字を使用して「松嶋神社」と表記される場合もあります。
▼ 松島神社 「日本橋七福神・大国神」の御朱印。(2012年)
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▼松島神社は「水天宮前交差点」からスグの位置鎮座します。
▼1850年頃の江戸切絵図のには「松島町」があり、「イナリ」の文字が見えます。
赤丸の右下「有馬式部」の屋敷跡が現在の「水天宮」でしょう。
江戸初期の当地は旧吉原遊廓を中心とした歓楽街で、松島神社も「松島稲荷大明神」として人形細工職人、歌舞伎役者などの芸能関係や庶民の参拝によりたいへん賑わったそうです。
しかし長い江戸時代には一時、細民たちが多く暮らす松島町の時代もあったそうです。
▼そんな良き時代の町のにぎわいを再現するかのように「人形町通り」にはカラクリ時計の櫓が建てられています。
写真はありませんが、1時間ごとに江戸の職人・町人・武士などの人形ショーが始まります。
▼「水天宮前交差点」からは「水天宮」本殿の背中が丸見えです。
▼交差点から水天宮前の「新大橋通り」を東に少し歩くと神社の幟が見えます。
▼今や完全に「松島ビル」にビルトインされている神社は、道路に面した朱色の鳥居だけが神社の目印となっています。いかにも都心の神社です。
神社の創建は不詳ですが、鎌倉時代という言い伝えがあり、
当時は江戸湾の入り江だった当地に、松が茂る小島に、柴田勝家などの庶流を生み出した柴田家の邸内社があったのが始まりと言われています。
当時の小島の祠には常夜灯がともり、それを目印に舟の運行がされていたそうです。
小さな神社ではありますが、江戸時代には役者、芸妓、職人が住み、それぞれの故郷の神々を合祀した結果、現在では「伊邪那岐神」をはじめ14の神々が祀られています。
▼ガラスで仕切られた奥は、2Fまで吹き抜けとなり本殿が構えられています。
酉の市にかかわらず、人形町という地域柄、そして通りに面していることから普段から参拝者が絶えません。
▼この日は熊手商も一軒出店されていました。
目黒、新宿、浅草のそれぞれの目移りする熊手商と、落ち着かない境内でえらぶ熊手も悪くはないですが、一軒だけの熊手商ならジックリ、ユックリ落ち着いて熊手を選べられるかもしれません。
▼正月ともなると参拝者は長蛇の列を作ることになります。
長蛇の列は「日本橋七福神」の大国神が祀られているせいでもあります。
さてこの日「二の酉」の21日は目黒、新宿、浅草、人形町と巡ってきて腹ペコです。
いつものように遅い時間の軽めの朝食で、途中ファミチキとコーヒーだけでした。
▼松島神社のすぐ近くのこの店は、これまで松島神社より数多く「参拝」しています。
▼通常はシンプルな冷たいうどんをオーダーしますが、この日は暖かいきつねうどん。
腹ペコでもeco人間は並盛りで十分です。美味しいものは「シンプル・少量」がベストを信条としています。
さて、お腹もそこそこくちくなって、午後も遅い時間。
あと何社の酉の市を巡られるでしょうか?