▼運啓山 修性院の御朱印です。(日蓮宗/東京都荒川区西日暮里3-7)
日蓮宗の寺院ですが、七福神開催中は御首題はいただけませんでした。
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▼東覚寺→青雲寺のすぐ隣→修正院と進んできました。
▼広重の名所江戸百景「日暮里寺院の林泉」は修性院あたりを描いたものです。
上野から谷中、日暮里、道灌山へと台地が続いています。
江戸時代は東から北へかけての視界の開けた風光明媚なところでした。
木立や、池、泉を配した庭園を持つ青雲寺、修性院、妙隆寺、浄光寺等の庭園が有名だったそうです。
別名で花見寺、月見寺、雪見寺と呼ばれている寺もあります。
富士山が見え、反対の遠方には筑波山が見えました。
四季折々の自然に恵まれ「風流の里」「ひぐらしの里」と言われ、
見所が多く、時の経つのを忘れて「日が暮れてしまう里」だったようです。
そうです「日暮里」です。
現代も地形は大きく変わっていませんが、多くは住宅地に変わり残念ながら「風流の里」を見つけるには容易ではありません。
日暮里、谷中に数多い寺社から「風流の里」の残滓を見つけられるかもしれません。
▼以下4枚は2012年の撮影の修性院です。
独特の書体で刻まれた旧字の「修性院」ですが、読みは「しゅうしょういん」です。
▼以下は2020年の撮影になります。
寺を囲む塀に布袋のイラストが描かれていますので、七福神の寺だとスグ分かります。
▼山門の赤い御影石が印象的です。
▼御朱印受付に迷う方が多いのでしょうか?
▼1月9日 木曜日ですが、まだまだ七福神巡りをする方が大勢です。
修性院の開山は1573年、天正元年と伝わりますので、信長の最期の10年前ということになります。
▼本堂脇の木は桜のようですが、正月の桜は見るところがありません。
その後、江戸時代に入ってから現在地に移転されてきたそうです。
そして広かった寺領に林泉が施され、日暮らしの里の花見寺となったのでしょう。
▼一塔両尊四士像が祀られる本堂内須弥壇です。
▼木造の布袋像は本堂内左手にいらっしゃいます。
「日ぐらしの布袋」とも呼ばれる木造の布袋尊は、荒川区の文化財にも指定されているそうです。
寺を出て南に進み次の天王寺を目指します。
▼少し歩くと右手に「谷中銀座」が見えてきます。
相変わらず賑わっています。
▼「夕焼けだんだん」の坂を下りてみましたが、商店街で道草を食っていると時間がなくなります。
▼後ろ髪引かれながら坂上まで戻って、穴蔵のようなステキな小路の前を通って天王寺へ向かいます。