▼浄居山 青雲寺の御朱印です。(臨済宗妙心寺派/東京都荒川区西日暮里3-6-4)
▼御朱印は境内左手にある受付でいただけます。
七福神は年配者から若者まで老若男女に人気があり、
御朱印収集人に限らず、彼ら、彼女らも年中行事になっているかもしれません。
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▼田端の「東覚寺」から「青雲寺」へ、山手線一つ先の駅「西日暮里」まで歩きます。
1駅分の徒歩ですが 1kmもありません。
もともと「西日暮里駅」は「田端駅」と「日暮里駅」の間にできた駅なので駅間は短いのです。
山手線で30駅目となる最も新しい「高輪ゲートウェイ」という長ったらしい名称を持つ駅が2020年3月に暫定開業しています。
その前に開業の山手線で2番目に新しい駅が「西日暮里」です。
とは言え「国鉄」時代の1971年開業ですので約半世紀前で、決して新しくはありません。
ローカル路線は無人駅となったり、廃駅となったりしますが、
都心部では「駅間」にもう一つ駅ができ、一極集中のサンプルになっています。
▼そんな日暮里「日暮らしの里」の住宅街を進むと、左手に参道が傾斜を作っています。
創建不詳の青雲寺のかつては多くの伽藍が建つ寺院だったそうですが、
残念なことに江戸時代の火事ですべて焼失しています。
その後に多くの諸堂は再建されないまま現在に至っているそうです。
▼「青雲蟬寺」の文字が禅寺の凛々しさを表しています。
▼しかし、山門の右にある寺標はオモイキッシ崩れた難読書体。読んでください。!
正解は「花見寺」!
「日暮里」とか「花見寺」とかは過去記事にした覚えがありますが、
この後の「修性院」記事でおさらいします。
▼諸堂が焼失されたとしても、この本堂はいつ再建されたのでしょう?
時を経て禅寺らしさに磨きがかかったような暖かな佇まいは、
諸堂が再建されないことなどにこだわらず、超然としているようにも思えます。
「青雲寺」という名称は全国でも多くはありません。
千葉の佐倉藩老中の法号から「青雲」の文字をいただいて名称となっているそうです。
江戸時代には佐倉藩老中 堀田家代々の祈願寺になっていたとか。
▼ここでも谷中七福神のために「恵美寿神」が本堂最前面にお出ましでした。
「えびす神」は七福神で唯一日本の神。
夷、戎、胡、蛭子、蝦夷、恵比須、恵比寿、恵美須なと表記され、
漢字で書くと、とってもややこしい神ですが、
「えべっさん」とか「えびっさん」と親しみを込めて呼ぶ名称の方が
ピンとくるかもしれません。
▼「南総里見八犬伝」の著者 滝沢馬琴の筆塚が境内左手にありました。
▼以下3枚は2012年の写真です。9年ぶりの七福神巡りは何も変わっていませんでした。
騒がしく不穏な俗世間の2020年でしたが、
2021年の谷中七福神を、同じように参拝できる新年であってほしいものです。