真田山 心眼寺の御朱印
書置きが入れられていた封筒は、バサッとした男のように潔く「朱印」。
「大阪四十八願 阿弥陀巡礼 第十一番」札所の御朱印になるようです。
HPによると「大阪新四十八願所 阿弥陀巡礼」となっていて、やはり関西は霊場が無数にあるように感じます。
キラビやかな限定御朱印を追うのではなく、各霊場を巡りながらいただく御朱印ならば、関西では事欠かないかもしれません。
中央は本尊「阿弥陀如来」の梵字に「真田幸村」の筆文字が重ねられています。
今回の大阪での書置きは2度目になりました。
▼前回記事の「三光神社」の裏手、すぐ東に「心眼寺」の山門が開いています。
タモリがブラブラしていたのも、この付近でしょう。
▼「心眼寺坂」の途中に寺境内へ上がる石段。
この地域も「上町台地」の中でしょうが、東京人には不案内。
しかし「三光神社」裏の真田山の東側になり、その起伏が坂となっているのでしょう。
そして「ここから ここまで」と特定はできないものの大坂城の出丸「真田丸」が築かれていた地域です。
心眼寺の創建は安土桃山時代で、後の冬の陣で取り壊され、さらに1622年、真田幸村らの供養のため冬の陣の陣地跡に再建されています。
近代に入っては大阪大空襲で堂宇を失い、現存する建物は近年のものでしょう。
▼さらに、六文銭と「真田幸村 出丸城跡」と刻まれた石碑も建ちます。
三光神社では御朱印も幟も「真田山」と記し、「抜け穴」もありますが、
こちらはきちんと「跡」と言い切っています。
大阪市教育委員会のお墨付きもいただいているので正しいのでしょう。
▼一般的には心眼寺とは坂道を挟んで反対側にある「大阪明星学園」の敷地が「真田丸跡」とされています。
しかし、その形状さえハッキリしない真田丸。
この近辺のどの寺社が「真田丸跡」と言ったとしても間違いではないのでしょう。
とりわけ、真田家先祖の助力により再建された歴史を持つ心眼寺は「跡」と言い切る資格を持っていると言えるかもしれません。
同じく間違い無いのは、NHKの大河ドラマに限らず、歴史好きには心眼寺や、周辺地域は聖地のようです。
いつも思うことですが、寺社は形としてある歴史の宝庫なのです。
▼心眼寺は規模的にはカワイイ寺ですが、もう一つ有名なのが、この「地蔵堂」。
▼「まんなおし地蔵尊」という珍しい名称の地蔵が祀られています。
「間が良い」「間が悪い」などという言葉は運、めぐりあわせなどの意味でよく使われますが、「まんなおし」さんは「間の良い」方に直し、不運を幸運に直していただけるそうです。
▼こちらの石碑は「真田左衛門佐豊臣信繁之墓」と書かれています。
真田信繁(幸村)の墓は人気者だけに全国に多数あります。
信繁の菩提を弔うため創建された寺ですが、この墓碑は信繁四百回忌に合わせて2014年に建立されたそうです。
ちなみにNHK大河ドラマ「真田丸」は2016年に放映されていますので、ファンが聖地を巡るのにはタイミングの良い「間の良い」建立だったと言えるでしょう。
雨の心眼寺を出ます。
▼冒頭に掲げた写真をもう一度貼ります。心眼寺の隣に巨大な像が見えていました。
▼近寄ってみると観音らしき巨大像。
ついでと言ったら失礼ですが、全く訪問予定にない寺に建つようですが、寄ってみることにして次回記事とします。
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