▼(山号ナシ)信濃国分寺の御朱印です。(天台宗・長野県上田市国分)
現寺院は後継ですが、江戸時代までは「浄瑠璃山 真言院 国分寺」と呼ばれていて、
寺院朱印と筆書きの「八日堂司」は国分寺の別称だそうです。
「八日」は寺の縁日に因むものです。
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▼寺は上田市にあり、東京方面からですと「上田駅」の手前になります。
北陸新幹線ができてから在来線が移管され「しなの鉄道」という、
鉄道ファンではないので私鉄なのか第3セクターなのかよく分からない路線にある
「信濃国分寺駅」が最寄駅ということになるのでしょう。
▼電車ではなく、車で東京から寺を目指すと上田の手前、さらに国分寺の手前に
北国街道の「海野宿」があるので寄り道します。
宿場はあまりにキレイ過ぎます。明るすぎます。
「綺麗に整備しました」感が表面に出てしまっています。
木曽の妻籠宿や馬籠宿とは雰囲気が大きく違うように感じます。
海野宿は江戸時代には佐渡の金運搬や、参勤交代、善光寺の参詣客などで
大変な賑わいだったそうです。
「日本の道百選」や「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定されています。
2013年10月の週末は午前中だったせいか、通りには人の姿が遠くに一人だけ。
店舗らしき建物も表戸が閉ざされサイレント。
まだ元気な10月の日差しと影が静かさを増幅しています。
沈黙の宿場町です。
▼「本陣跡」前でウロウロしていると・・・
どこからともなく人の良さそうな おカァさんが現れ、
「本陣内を案内しますよ!」と声を掛けられました。
「案内」?
有料? ボランティア?
色んなことが頭をよぎるもののフン切り悪く
「 んっ、んぅ〜〜ん、じゃお願いします」
つい、ハッキリ断れない優柔不断な性格が出てしまいました。
おカァさんは久しく話す相手が現れたかの如く、嬉々として話し始めました。
いや、案内・説明していただいたのです。
しかしこの後の予定がハードに詰まっている中、
おカァさんの説明もロクに耳に入ってきません。
▼このガラスも特徴のあるものだという話でしたが、その内容は忘れました。
せっかくのおカァさんの案内なのに失礼しました。
必ずもう一度ゆっくり説明を聞く機会を作って参上いたします。
▼今回目的の信濃国分寺です。
741年に聖武天皇の命により国ごとに建立された国分寺ですが、
当初の信濃国分寺は現寺院より南にある「信濃国分寺跡」に建てられたそうです。
しかし国分寺はどこも衰退、再建を経験し、平安時代末期頃に現在の地に移った後も戦火で失われた建物は多く、現在の本堂は1860年の竣工だそうです。
秀忠が関ケ原の合戦に間に合わなかった原因ともなった「上田合戦」でも兵火に見舞われたとか。
▼近隣の人たちには「八日堂のお薬師さん」と呼ばれ親しまれているそうです。
▼現存する建物の中で最も古い三重塔は室町時代中期の建築だそうです。
本当は海野宿も国分寺も沈黙どころか
その長い年月の歴史を雄弁に語っています。
「歴史とは現在と過去との対話」だと英国の歴史家が語っています。
そこには現在の知識を持った上での問いかけでなければ
対話にもならないでしょうが・・。