【21.07.03-rewrite 22.01.07】
数種類あった書置きから干支をあしらった御朱印をいただきました。
和紙にキチンと墨書きされ、朱印された「正しい」書置きでした。
▼参拝時は気づきませんでしたが、手水舎の上の授与品案内にも御朱印が掲載されていました。
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▼神社はあの有名な「駒形どぜう」 と「バンダイ」本社ビルの隣でした。
▼これまでも数えきれないほど何度も車で走る「江戸通り」です。
最近、おしゃれなcaffeが増えた街です。「白か黒か」は乱立気味の食パンやさん。
▼そして通り沿いにデ〜ンと建つ「バンダイ」本社ビルです。
▼ビル下に歴代の人気者達が並んでいます。
▼永遠のヒーローたちが胸を張っています。
▼その隣は「駒形どぜう」。
▼これまで週末や休日は席の空きを待つ人がベンチに座り、列を作りましたが、2021年の今はいません。
ここは癖のないポピュラーな味で何度も利用していますが、
外国からの訪問者が多く、あまりにも観光化された店に少し足が遠のいています。
そんな客が戻るのはいつになるのか先の見えない出口です。
▼「駒形どぜう」が弁当を売り出すなど考えられないことでした。
▼さて「駒形諏訪神社」はバンダイから1軒おいた隣に鎮座です。
▼ビルとビルの間で窮屈そうな境内は木々に覆われ、これまで存在を気づかさられなかった、知らなかった神社です。
▼鳥居にかかる額のグリーンは珍しい。
▼境内に足を踏み入れ、すぐ右にある小さな祠は・・・
▼「稲荷社」でした。「おいなりさん」の名にふさわしい姿です。
▼鳥居から距離がないので、社殿を撮ろうとするとこんな状態になります。
「東京都神社庁」サイトからの引用です。
承久の乱(1221年)の後、信濃国諏訪郡小日村の神主が、諏訪大社(上社)の御分霊を当地に勧請したと伝えられている。また、天正年間には神主が数代に亘って奉仕したと伝えられ、その後、浅草寺の修善院が別当として奉仕して来たという。
▼神紋は「諏訪梶」と言って、諏訪大社と同じものだそうです。
全国に数多ある「諏訪町」ですが、鎮座地の駒形もかつては「諏訪町」でした。
諏訪神社、諏訪大明神、おすわさまがある町だから「諏訪町」、単純です。
「新宿諏訪神社」の鎮座地も、かつては諏訪町でした。
現在より行動半径が広くなかった江戸時代の人々には「諏訪町」がいくつあっても不便はなく、自分の知っている近くの、唯一の「諏訪町」でしかなかったのでしょう。
そして「駒形諏訪神社」ではなく
「諏訪神社」「諏訪大明神」「おすわさん」だったのでしょう。
神社は少なくとも300年間は変わらずに現在地に鎮座し続けてきたとされますが、
この狛犬たちも同じような時間を過ごしてきたのかもしれません。
▼社殿左奥に社務所です。
中の様子が全くわからない扉に「ピンポ〜ン」するのは勇気のいることですが、
対応は極めて親切。
しかし、お留守の時もあるそうです。
こんな小さな神社が御朱印を通して人々に知られ、参拝者も増えることはとても良い事のように思います。
小さな神社の「大きな御朱印」になれば幸いでしょう。