▼世良田東照宮の御朱印です。(群馬県太田市世良田町3119-1)
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▼東武伊勢崎線に「世良田駅」があり、そこから1kmほどで東照宮です。
地図には世良田東照宮の南、利根川沿いに「徳川町」が見えます。
元は「得川郷」と言われたそうです。
名古屋は納得できます。
しかし家康とは縁も所縁も痕跡も無さそうな群馬県太田市になぜ「徳川」なのでしょう。
しかも、いただいた御朱印には「三つ葉葵」と「徳川氏発祥の地」のスタンプがドン!と押されていますが、そんな事は多くの人が知らないでしょう。
でも地元では誰もが知っている事だそうです。
▼「御黒門」は「縁結び門」とも言うそうですが、いつから縁結び役を引き受けたのでしょうか?
幼い頃は東照宮といえば「日光」と思っていました。
気づいてみれば日本中に130社ほどあることを知りました。
家光の時代以降は諸大名が競って建立し、500社を超える東照宮が造られたそうです。
信長、秀吉を祀る寺社もありますが、その数はとても東照大権現には敵いません。
▼社殿は、3代将軍家光が日光東照宮を改築した際の奥社の「お古」を頂戴したもの。
江戸時代初期に建てられ、その2、30年後にここ「徳川氏先祖の地 世良田」に移築されたものなので、
「お古」と言えども、さすが「東照宮」です。その煌びやかさ、華麗さは見事です。
有料区域となる本殿には足を踏み入れていませんが、
数多くある東照宮の中でも、立派な格式と由来を持つ「世良田東照宮」なのです。
当時は「お江戸見たけりゃ世良田にござれ」と謳われたそうなので、
江戸時代は東照宮とともに世良田の町も大いに栄えてたのでしょう。
▼「縁結び」門に続き、こちらは「開運」稲荷社。現世御利益の代表です。
▼御朱印をいただいた世良田鬼除「日枝社」。
話を「徳川氏発祥の地」に戻します。
以下、ネットからカンニングしてまとめてみます。
太田市世良田は新田荘と呼ばれる平安時代の荘園で、新田義重が統治していました。
新田義重は新田家の始祖で、
祖父が源義家で父が義家の3男 義国という由緒正しき源氏一族です。
義家の嫡男で叔父にあたる義親の三代直系が、鎌倉幕府を開いた源頼朝で、
義重の弟である足利義康の8代目が
室町幕府を成立させた足利尊氏という驚くべき家系を持っています。
そして新田家八代目が鎌倉幕府を倒し、足利軍よって滅ぼされた新田義貞です。
かなりややこしいのですが、ここまではほぼ史実です。
新田義重は世良田などの開拓の地を4男義季に譲ります。
義季は上野国新田郡世良田荘得川郷(太田市)に住んで得川を称し、得川義季と名乗ります。
その後、義季の子孫は三河松平郷(愛知県)に住んで松平を名乗ります。
そして松平氏は松平清康の時代に清和源氏世良田氏の後裔と称するようになり、
さらにその子孫である松平家康が改姓して徳川氏を名乗り徳川家康となります。
以上複雑ですが、家康が源氏の系譜を欲しく自称した徳川の流れとする一説です。
戦国時代の武将はその出自を飾るために
勝手に系図を作ったり買ったりしていますので真実は分かりません。
徳川氏の出自の真実は分かりませんが、
源氏も平氏もググッーと1000万年くらい遡れば、チンパンジーと決別して、みんな二足立ちしてヒトとなった一族だったに違いありません。
後々の世で誰が源氏を名乗り、平氏を名乗ろうが大した問題ではないかもしれません。
▼この猿は「神」になって、同じく神となった大権現のそばにいます。
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