【御朱印掲載ナシ】
11月の記事、茅野市の「長円寺」を出て山側の横谷渓谷方面へ向かいました。
▼最初の目的地はここに白馬を探しに行きました。でも見つかるはずはありません。
▼東山魁夷の絵に描かれている白馬は想像で付け加えたそうです。
誰しも一度は目にしている絵画ですが、タイトルは知りません。
東山魁夷の代表作の一つ「緑響く」です。
▼秋の「御射鹿池」に緑はなく「黄輝く」です。
東山魁夷は「緑響く」を1982年に描いています。
作者の言葉で「白い馬はピアノの旋律で 木々の繁る背景はオーケストラ」だそうです。
「御射鹿池」は「みしゃかいけ」と読みますが、誰も読み取れません。
魁夷が絵にしてから約30年後にTVのCMで一躍有名になり、それまでは見向きもされない何でもない「池」です。
TVコマーシャルの偉大さに今更ながら驚かされます。
さらに人気に拍車をかけたのがインスタ。
今ではおそらくTVより爆発的な広がりを見せます。
そんなインスタには、とんでもなく幻想的な美しい「御射鹿池」が氾濫していますが、
カメラに無頓着な身にそんな美しい写真は撮れません。
なのに同じような写真を連ねます。
奥蓼科温泉郷にある「御射鹿池」ですが、
池沿いの「湯みち街道」に駐車場はあるものの、そのほかは何もありません。
多くの訪問者がいますが、白馬は見つからず、皆だいたい30分ほどで帰って行きます。
「御射鹿池」を後にして東に「湯みち街道」の山道を登ります。
少し登って明治温泉方面へ下ります。
1車線の細い山道は舗装はしてあるものの、とんでもない悪路に体が躍ります。
明治温泉に出て、横谷渓谷を左手にして、さらに西に下り横谷峡入り口にある
「乙女の滝」を目指します。
▼駐車場から滝まで歩く途中の黄金色の木立の中に小さな社が建っていました。
▼「信玄公ゆかりの地」だそうです。
こんな神社に御朱印があったら嬉しいのですが、もちろん無人です。
手だけ合わせて滝に向かいます。
▼道路途中の左側に小さな滝がありますが案内もないので「乙女の滝」ではなさそう。
▼道路の下を通って反対側に流れ落ちています。
▼秋の山を眺めたら、滝への案内がある坂道を一気に下ります。
坂道は長くも急でもなく、脚に自信がない人でも行き着けます。
▼坂道を下った右手にいきなり現れる「乙女の滝」です。
なぜ「乙女」なのかは知りません。
今では「乙女」は死語かと思っていたらそうでもなさそうです。
「乙女解剖」なんて曲を初音ミクが歌ってます。
今話題の古関裕而は「汽車の窓から ハンケチ振れば まきば の乙女が 花束なげる」と曲を書き、
ヴィレッジシンガーズという古のグループは「亜麻色の髪の乙女」をヒットさせたように昔は「乙女」がいたようです。
「乙女」は、若い女性、穢れを知らない女性を意味します。
ということは現代でも「乙女」が死語になる必然はないのですが、
「穢れを知らない」となるとアヤシーので、やはり死語になっていくのかも・・。
▼過去に十和田湖に行き出会った「乙女」は智恵子の夫 高村光太郎作「乙女の像」。
この像を見た同行の知人は「乙女じゃない!!! 中年のおばさん!」と怒っていました。
高村光太郎最後の作品と言われるこの像は、妻の智恵子をモデルとしてるそうです。
智恵子が何歳の頃のモデルか分かりませんが、タイトルに無理があるかもしれません。
頑丈そうな女像を目にし、知人がガッカリしたのも無理ないことです。
▼「乙女」の2文字を使うのがブームだった時があったかもしれません。
「乙女の滝」はここ蓼科以外にもチェーン店のごとく全国に展開しています。
また「乙女の鐘」というのも全国にあります。
安直な命名の代表選手のようです。
そんなシニカルな思いをしていると「乙女のシブキ」を浴びせられます。
結局この滝は、駐車場から歩いた途中で見た小さな滝が道路反対側に落ち込んでたのを
下から見ただけ、という正体でした。
東京→長円寺→御射鹿池→乙女の滝と進んでくると昼も過ぎます。
▼昼ご飯は当然そばにします。
▼昔「そばきり」とは何?と疑問でした。
蕎麦を麺状に切ったものですね。普通に言う「そば」です。
▼店の口コミは悪くはありません。
「十割どうづきそば¥1600」というメニューもありましたが、
▼ボンビーは「八割そば」でガマン。
それでも蕎麦だけで1000円以上、まずかったら怒ります。
食レポBLOGではないし、味覚には多少人と違う部分を持つので「普通に美味しかった」と言っておきましょう。
蕎麦を勢いよくすすったら、ここでも「蕎麦つゆのシブキ」を浴びました。
真っ只中のコロナ禍、飛沫(シブキ)にはマッピラです。
言わずもがなの ご注意を!