▼覚王山 日泰寺の御朱印です。(愛知県名古屋市千種区法王町1-1)
筆書きの読みは「かくおうざん にったいじ」です。
印は読み取りにくいですが右上から
「奉納経」
「釈尊御真骨奉安道場」
「覚王山日泰寺」。
初めて知りましたが「覚王」とは釈迦の別名だそうです。
2021年現在は書置きのみの授与で、印も中央の大きな印だけ押されているようです。
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▼最寄駅の地下鉄「覚王山駅」からは400〜500mほどです。
▼覚王山駅から商店街を歩いていくと、なかなか風情のある商店が並んでいます。
この通りは一応、日泰寺の参道になるのでしょうが、商店街として人を集め発展していくには、山門町のこの道路は広すぎかもしれません。
名古屋の道路はほとんどが広く、余裕たっぷりですので、道路の両サイドの店を左右に見ながら物色できる商店街はできにくいかもしれません。
もちろん名古屋にも賑わいの商店街はたくさんあり、栄や大須一帯の商店街などは別格で、他はやはり大通りから一歩入った道路に商店街が形成されています。
商店街というより名古屋駅から栄周辺に地下街が発達しているので、地上に出なくてもショッピングの用は足りてしまうでしょう。
東京人が名古屋を語っても正確ではなく的外れになるでしょうから、この辺にしておきましょう。
▼さて、覚王山の商店街を進むと日泰寺の「山門」正面に突き当たります。
▼扁額は「日泰友好道場」の文字です。
言うまでもなく「日泰」は「日本」と「タイ国」を表しています。
▼山門を抜けると境内のだだっ広さに呆気にとられます。
4万坪あるそうで、こんなに広い必要があるのだろうかと疑問を持ちますが、
毎月21日は縁日で埋まってしまうそうです。
たしか21日は弘法大師の縁日のように記憶しますが・・・。
▼あまりに広い境内に本堂までの距離を感じさせられます。
日泰寺は1904年の創建ですが、タイから贈られた釈迦の遺骨を奉安するために創建された超宗派の寺院です。
空襲で全焼しているため、建物はその後に再建された新しいコンクリート製のものばかりです。
そして、この本堂内に「タイ」が存在します。
▼本堂内の額は「轉法輪(てんぼうりん)」という難しい言葉が掲げれています。
仏の教えを説くこと、説法を意味するそうです。
その奥には「釈迦牟尼佛」を意味するタイ文字のグリーンの額が目を引きます。
2016年に亡くなっているタイ国々王プミポン陛下の直筆だそうです。
▼さらにその奥に須弥壇に祀られ光り輝いているのは、タイ国から贈られた本尊「釈迦金銅仏」。
タイは親日国という印象が深いのですが、仏教を通じても深いつながりが感じられる「タイ」です。
しかし、国民の9割が仏教徒と言われる現在のタイは軍事独裁政権国家です。
一時は「民主主義の優等生」とも呼ばれたタイですが、
1932年に立憲君主制に移行以来、2014年の軍事クーデターで19回目のクーデターになるそうです。
民主政治が機能不全に陥ったなかでの国民は、多くの不安と不自由を強いられています。
「3本指サイン」のデモでさえ強制排除されています。
この秋は各地の洪水も問題になっています。
▼日本からの観光客も多かったこんな美しい国が政情不安なんて似合いませんし、
モッタイナイことでもあります。
(上下2点の写真は【amazing THAILAND】)
▼現在の軍事政権も世界遺産「タイ式マッサージ」で揉み解されるべきかもしれません。
日本とタイの友好を象徴する一つである日泰寺の参拝でした。