▼目黒 大鳥神社「二の酉」の御朱印です。(東京都目黒区下目黒3-1-2)
金銀ラメ入りの用紙の書き置きは、広い意味で「御朱印」でしょうが、
「奉拝」の文字はなく、「参拝記念」のスタンプが押してあります。
従って「参拝記念紙」なのでしょう。
唯一の救いは日付が入れられていること。
商業印刷機による印刷か、オンデマンド印刷か、コンシューマープリンターによるプリントか、実際の捺印か、直の墨書きか・・・?
多様化する印刷方法で、見分けのつかない「御朱印」が多くなってきました。
大鳥神社の御朱印もどこまでがプリントで、どれが直書きか見分けがつきません。
少なくとも中央の「大鳥神社」は手書き感の全くないプリントでした。
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▼大鳥神社へは「目黒駅」から徒歩6、7分。
「山手通り」と「目黒通り」の交差点脇に鎮座します。
▼2021年11月23日、午前10時30分。神社前の目黒通りは忙しく車が行き交います。
もともと広くない境内に所狭しと熊手を売る店が広がり、歩道は屋台で埋め尽くされています。
▼「目黒通り」に面した「表参道」は人を入れないように撮影するのは困難でした。
▼こちらは「山手通り」に面した「北参道」。
日曜日と重なった「二の酉」。
ここから山手通りを東沿に参拝者の列が伸びていました。
▼境内に入ると一時も落ち着いていられない状態です。
▼拝殿前にたどり着き参拝できるまで20分ほど並びました。
▼「参拝は六列で」の貼り紙があります。
つまり「一度に6人ずつ参拝してください」という神社側の希望でしょうが、
現実は3、4人ずつが精一杯。みんな拝殿の端っこはイヤで正面で参拝したいようです。
▼このあと、氏子衆による「木遣り」が聞こえてきました。
おじさんたちの歌う声は、とっても澄んでいて耳の心地よい唄でした。
境内は立て込んでいて、とてもカメラを構える余裕はありません。
▼唯一、拝殿左隣にある境内社「目黒稲荷神社」だけは、なぜか空間ポケットができていました。
▼その左手前に庚申塔が並びます。
当時の人々の庚申信仰は、現在では想像できないほど広まっていたのでしょう。どこの神社でもいくつかは見られる庚申塚です。
目黒大鳥神社の主祭神は「日本武尊」とし、社殿が造立された806年を創建年とされています。
由緒によると景行天皇の御代(71~130年)にはすでに社があったと伝わる古社です。
▼「江戸名所図会」には「大鳥明神社」として描かれています。
絵の中の左の建物は別当の「大聖院」。
「大聖院」は神社の隣に現存し、酉の市はシランプリをして、全く静かでした。
神社の境内には「キリシタン灯篭」や「櫛塚」など見所は多いのですが、いかんせん酉の市は避けて平日の訪問でなければ、ゆっくり出会うことはできません。
機会を見て酉の市以外の日に訪問することにします。
▼以下は2018年、大鳥神社「一の酉」の夜の風景です。
やはり「酉の市」は夜がおなじみです。
明るい時間の昼間の酉の市はシックリきません。
▼以下、夜の目黒大鳥神社「酉の市」の幻想的でもある雰囲気だけ感じ取って下さい。
▼目黒駅方面から山手通りに架かる陸橋。
まだ「コロナ」なんて言葉が巷に飛び交う前の年の酉の市です。
「関東三大酉の市」は浅草の鷲神社、府中の大國魂神社、新宿の花園神社ですが、
浅草と同様に江戸時代から続く目黒の酉の市も、神社の鎮座する場所柄から多くの参拝者を集め、東京の風物詩の一つです。
酉の市が終わると、いよいよ季節は本格的な冬となります。