▼篠崎 浅間神社の御朱印です。(東京都江戸川区上篠崎1-22-31)
御朱印は金銀ラメ入りの用紙にプリントと墨書き、朱印された書き置きでした。
例によって「しのざき せんげん じんじゃ」は通称で正式名称は「浅間神社」。
▼絵ハガキも一緒に渡されました。
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▼当社へは地下鉄「篠崎駅」から北へ約1kmの地に鎮座します。
一昔前までは畑が点在する農村風景の残る地域でしたが、今やすっかり住宅地になり田畑を見つけるのは難しくなっています。
新宿線の「篠崎駅」が89年に開業したことの影響が大きいのでしょう。
▼「篠崎駅」から10数分歩くと神社の入口。ここから70mほどの参道が延びています。
▼参道先の細い道路を横断すると一ノ鳥居になる「大鳥居」。
▼明治に「村社」となり、さらに「郷社」に格上げされています。
▼「大鳥居」に奉納された「黄金の注連飾り」の奉献碑。
▼注意深くしていないと見落とし通り過ぎていまいます。
石造りの注連縄に金属製の垂れがゴールドに輝いています。黄金の垂れは他では見かけた覚えがありません。
▼境内案内板には10数社の摂社末社が記されています。すべてチェックできるか分かりません。
▼黄色い鉢花に囲まれた「手水舎」は、やはり柄杓が取り除かれています。
▼参道最奥の「ニノ鳥居」の先に石段が続いています。
▼こちらの注連縄は見慣れた藁造り。
▼石段途中の狛犬。
赤字で刻まれた「弐百萬円」「五拾萬円」という恐ろしい数値の奉納金の碑の方に目がいってしまいます。
▼石段横の斜面はまるで富士塚のように溶岩で固められています。
かつては「富士浅間社」とも呼ばれ、江戸時代には講社も組まれていたそうです。
由緒によると創建は平安時代の938年と伝わり、区内では最古の神社です。
主祭神は「木花之佐久夜毘売命(コノハナノサクヤビメ)」。
安産、火防、子育ての神様と言われています。
▼ゴチャゴチャとした扁額は、よく見ると彫りの深い精緻な彫刻で飾られていました。
大鳥居の方へ戻って境内社を見て回ります。
▼大鳥居右手前に「弁天社」が鎮座。しっかりとした石造の鳥居も設けられています。
▼小さな池は「弁天池」と呼んでいいでしょう。
▼財運の神「市杵島媛命」が祀られています。
それぞれ「天照坐大神」と「須佐之男尊」が祀られています。
これらの摂社・末社は、地域近隣に点在していたものがそれぞれ浅間神社境内に遷座されたようです。
▼秋に訪問した時は菊の展示会が行われていました。
▼大鳥居から参道の右手を見ていくと最初に「靖国宮」。
▼こちらは「稲荷神社」。
「いせ稲荷大神」と書かれた幟が奉納されています。
▼「霧島神社」。どの摂社にもそれぞれリッパな鳥居が設けられています。
▼「神楽殿」は大きく、庇の長いしっかりとした屋根を持っています。
▼神楽殿の前にも一対の狛犬。現代的で、かつ個性的な狛犬です。
拝殿下周辺にも多くの境内社が並びます。
▼「下浅間神社」は「大山祇命(オオヤマズミノミコト)」を祀ります。
▼道真を祀る「天満宮」にも鳥居が設けられています。
▼「下浅間 御嶽宮」の祭神は「磐永媛命(イワナガヒメノミコト)」。
▼「香取神社」。
数多いそれぞれの境内社は存在感タップリでした。
▼「神社祭り唄・篠崎音頭・篠崎小唄・篠崎慕情」と、篠崎の歌は4つもあります。
▼「水神宮」と「道祖神」も並びます。
境内社の数が多く「柳島稲荷神社」を見逃しました。
次回参拝の折に御挨拶申し上げることにします。
▼布袋さんでしょうか? 体型の割には位置と大きさが遠慮がちでした。他の神々に心広く全てを譲っているかのようでした。
▼「浅間幼稚園」を左に見ながら北になる境内裏に進んでみます。
▼この先は千葉県になる江戸川堤防でした。
1000年以上の歴史を持つ神社の社叢は緑深く、23区内とは思えない広さがあり、何よりも都心部とは違い周辺に神域を見下ろすような高層ビルがなく、それだけでもホッとさせられる神社でした。
しかし境内社の多さは迷宮で、心の落ち着きを失いそうな psycho でもありますが、
いずれにしても江戸川区最古の、サイコーの神社でした。
▼距離的に「ほぼお隣り」の寺院記事。