東叡山 寛永寺 清水観音堂の御朱印
「きよみず かんのんどう」天台宗 本尊:千手観世音(東京都台東区上野公園1-29)
2012(平成24)年の御朱印は江戸三十三観音を巡っていた折にいただいた物で、
情けないことにこの頃は京都の清水寺とは結びつかず「しみず かんんのんどう」と読んでいました。
要するに東叡山も寛永寺も詳しくは何も知らなかった訳です。
御朱印帳の現在はもう1種類「月の松」をモチーフにしたものがあります。
▼御朱印は本堂内左手でいただけます。
上の写真は2018年の本堂前で、並んでいる人々は御朱印待ち。
こんな時代もあったのですが、御朱印も現在はもっとスムーズにいただけます。
また、上野大仏で御朱印がいただけなかった場合は、
こちらで「上野大仏」と「パゴダ薬師堂」の2種類もいたけます。
▼観音堂は上野公園正面入口からすぐの位置にあります。
広大な上野公園はかつては全て寛永寺の寺域でした。
家光と天海によって築かれ、1625年を創建とされています。
比叡山の伽藍を模して建立され、東の比叡山として「東叡山」という山号が用いられ、創建年の年号を使用して「寛永寺」と名付けられています。
清水観音堂は京都の清水寺を模して懸造りで建立されていますが、当然スケールは京都とは比較になりません。
徳川将軍家の祈願寺だった寛永寺は、かつては一般人が自由に参拝できる対象ではありませんでした。
そこで天海は寺の中に庶民が集える場所として清水観音堂を建立しています。
▼この広い階段の左手には京都と同じ「清水坂」もあります。
▼階段上から見た不忍池の弁天堂方面です。
不忍池は琵琶湖を模していて、琵琶湖に浮かぶ竹生島の宝厳寺の弁才天を勧請して建立されています。
話はいきなり横道にそれますが、
今話題が絶えないChat GPTに清水観音堂について聞いてみました。
以下、GPTのアンサーです。
上野の寛永寺にある清水観音堂は、その特徴的な建築と歴史的な価値で知られています。
水琴窟(すいきんくつ): 清水観音堂の最大の特長は、水琴窟と呼ばれる独特の仕掛けです。水琴窟は、水の流れが石の段を伝わりながら音を奏でる仕組みであり、滝のような音と美しい水の流れを楽しむことができます。
修復の歴史: 清水観音堂は、元々は江戸時代初期の寛永年間(1624年〜1644年)に建てられました。しかし、火災や戦災などにより何度か修復が行われ、現在の形に再建されました。そのため、堂内には歴史の重みを感じることができます。
緑豊かな環境: 清水観音堂は、上野公園内に位置しており、周囲には美しい自然環境が広がっています。季節ごとに風景が変わり、特に春には桜が咲き誇り、秋には紅葉が楽しめる場所としても知られています。
観音像: 清水観音堂には、観音菩薩を祀った立像が安置されています。観音像は青銅製であり、美しい装飾や彫刻が施されています。信仰の対象として崇拝され、多くの参拝者が訪れます。
清水観音堂は、その特徴的な水琴窟や修復の歴史、緑豊かな環境、そして美しい観音像などから、歴史や文化、自然を愛する人々にとって特別な存在となっています。
Q「清水観音堂に水琴窟は存在しないと思いますが?」
再び、GPTのアンサーです。
申し訳ありません、情報が間違っていました。清水観音堂には実際には水琴窟は存在しません。おっしゃる通り、清水観音堂は水琴窟を特徴とする建築物ではありません。誤った情報を提供してしまい、大変申し訳ありませんでした。訂正いたします。
GPTの答えは一般的な内容と言えますが、間違いも平気で自信満々です。
しかし、間違いを指摘すれば素直に訂正します。
「観音像は青銅製であり・・・」としていますが、
どこを調べても「青銅製」という言葉は見つかりません。
急発展途上にある生成AI は使い方次第でしょう。
寄り道から戻って、
朱色の観音堂本堂は1631年の建立で重文指定されています。上野の山でも最古の木造建築です。
▼内部は薄暗い奥に前立ちをはじめ多くの仏像が立ちますが撮影禁止。
本堂外からの撮影ならばビンズルさんも怒らないでしょう。
▼本堂前の舞台も京都清水寺に似せています。
▼そして広重の浮世絵でも有名な「月の松」です。
▼松の枝をよくここまで曲げた穴の中心に弁天堂が見えます。
Chat GPT は「月の松」も「願い玉」にも言及していません。
もっとも「願い玉」はかなり新しいイベントでしょう。
▼さらに鐘楼も。
江戸市中に数ヵ所あった時を告げる「時の鐘」です。
「花の雲 鐘は上野か 浅草か」は芭蕉が詠んだ句。
上野山の歴史とその奥深さは、LLモデルのChat GPTもビックリかもしれません。
しかし、ワタシたちのブログもLLMに取り込まれることは間違いないのでしょう。