▼雉子神社の御朱印です。()
雉子の漢字2文字で「きじ」と読みます。
丁寧に直書きしていただいたものの、初穂料は受け取ってもらえませんでしたので賽銭箱に落とさせていただきました。
--------------------------------------------------------------------------------------
▼雉子神社へは「五反田駅」から徒歩5、6分。日本の動脈、国道1号線沿いに鎮座。
▼五反田駅から1号線「桜田通り」沿いを北に向かう道は長い上り坂です。
▼坂を進むと右手にマンションなどのビルの谷間に並木以外の木々が見えてきます。
▼道路の反対側から五反田駅方面の眺めです。
▼北にまっすぐ進めば皇居の桜田門に突き当たります。
▼国道1号線の反対側から見た神社の全体像です。白いビルとその右側の建物は神社の持ち物のようです。鳥居も木々に覆われていますので、広い1号線を普通に車で通過しても神社には気づきません。訪問は9月初旬でしたが、まだまだ夏の雰囲気がたっぷりです。ビル群の中のオアシスのような雰囲気です。
▼鳥居の扁額も木々が覆いかぶさって読み取れません。
▼左右の狛犬はどちらも子供を抱えています。
▼階段は一応、表参道という位置のようです。
▼階段を上りきると境内全体の様子が見えてきました。千代田区の築土神社や、虎ノ門の金刀比羅宮などを思い出させられます。
▼手水は洗練されたスライド式のガラスケースのようになっています。
▼ビル内の社殿ですが、ビルは覆いかぶさってはいず、吹き抜けのようにポッカリ空が見えます。屋根に留まっている鳥は雉子?
その名称は全国でも一つでしょうが、雉子神社の名付け親は家光だそうです。
いただけた由緒書きにも載っていましたが、東京都神社庁からの引用です。
御社号は古くは荏原宮と云い、文明年中には大鳥明神、山神の社とも称す。慶長年間に徳川三代将軍家光公がこの地に鷹狩りに来られた時、一羽の白雉がこの社地に飛び入ったのを追って社前に詣でられ、まことに奇瑞であると、「以後雉子宮と称すべし」とのお言葉があってから、神威愈々赫々として江戸社寺名所にその名を連ねた。
江戸城からは7、8kmの近さですが、家光はこの辺りに鷹狩りに来たようです。
もっとも100年前の明治期までは五反田周辺は、まだのどかな農村が広がっていたそうです。現在では想像もつきませんが、当時はまさに「村の鎮守」だったのでしょう。
▼日本武尊はじめ3柱が祀られている本殿。
▼神輿を見ると神社の大祭の様子や、氏子により神社が守られていることなども窺い知ることができます。
▼ハデな幟が多数立つ境内社は「三柱神社」。大国主命をはじめ3人の神様のお住まいです。
▼神社の裏側は山の崖のようになっています。高台の鎮守だった雰囲気をわずかにのこしています。
▼「祖霊社」も崖の途中に建ちます。
▼境内外の1号線道路沿いに建つ人物像は、名前が書かれている書体が複雑で読み取れませんでした。「整地治水・・」などの文字から地域の街整備開発に貢献された方のようでした。