「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の「稲穂の心」は、丁寧に対応いただいたやさしそうな宮司さんの人柄が伺えます。
普通はメンドくて多くの文字は書き入れたくないでしょうが・・。感謝です。
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▼水元神社は東京のはずれに鎮座。神社の裏の川の向こうは埼玉八潮市です。
目的がなければ絶対訪れないような地域です。
それでも「水本神社前」のバス停がありますので金町駅から10分くらいです。
▼目的を持って訪問しました。のどかな比較的新し目の住宅街にあります。
創建は不詳ですが古くから地域の鎮守で、近くの広大な水元公園が作られた時に4社が合祀され現在の社名になったそうです。近隣は1981年まで「水元猿町」と呼ばれていたそうです。現在でも東武バスの停留所目に「水元猿町」の名称が残っています。地名については面白い記事が葛飾区史に載っていました。
1981(昭和56)年までは「水元猿町」という「猿」がつく地名がありました。現在の水元・東水元・西水元・水元公園の一部にあたります。
「猿俣」は、約770年前の鎌倉時代の文書に書かれている古い地名で、その後、江戸時代までに「猿ヶ俣」に変化しました。
なぜ「猿俣」という地名になったか詳しくはわかっていませんが、「俣」は川が合流したり分かれたりする場所のことで、川からつけられたとする説があります。
地元では、「さる」は「去る」になり、縁起が悪いとして、「やえんまた」ともよんでいました。
「猿俣」と言うのも滑稽ですが、「猿」が「去る」に繋がり、やはり嫌われる字でもあるようです。
しかし京都の「本能寺」などは「ヒ」が「去」るように「能」の文字にわざわざ「去」を使っています。猿楽町、猿江、猿島、猿ヶ京、猿橋などは個人的には好きな地名、場所ですが・・。古い地名の呼び名には、それぞれ理由や謂れがあることが多いでしょう。
ここ「水元」も、江戸時代に幕府がつくった水を貯めておく農業用の施設があったことに由来するとも言われています。祭神は伊邪那美命をはじめ5柱が祀られています。夏の午後の境内や通りには人の姿がありません。なにか心地よい気だるさを感じる境内でした。
▼東京周辺はどこも土地・耕地整備の歴史が残っています。そして富士登山。現在の富士登山とは少し異なる信仰があった証です。
▼拝殿の右側にある境内社は「招魂社」となっていますが・・・
▼「招魂社」にしては立派な装飾彫刻が施されています。明治以前に彫られたのではないかと思われる装飾ですが、詳細はまったく不明です。
▼非力の身には 1mmも持ち上げられそうにない「力石」に別れを告げます。
時を重ねてもなかなか実れない身は、頭を垂れっぱなしの「稲穂の心」です。