補陀落山 神宮寺の御朱印
▼神宮寺の御朱印です。
ご住職らしき男性に丁寧に対応いただき「これでいいですか?」と渡されました。
直書きいただき、上等でございます「ありがとうございました」。
▼御朱印は客殿右手の庫裏でいただきました。
庫裏は田舎のおじぃちゃん、おばぁちゃんの家に帰ったような佇まいです。
▼神宮寺は北の霞ヶ浦と南の利根川に挟まれた水辺環境の良い稲敷市にあります。
とは言っても比較的新しく2005年に発足した市で知名度は高くありません。
鉄道はなく、市の中心部もどこにあるのか分かりません。
おそらく市役所のある江戸崎あたりが中心なのでしょう。
人口も4万人強。
人口ピーク時の52,000人から急減して過疎地域に指定されているそうです。
稲敷市は首都圏から60km圏内。
同じ距離を首都圏から南へ進めば鎌倉・平塚あたりになるでしょうか?
しかし鎌倉・平塚周辺に過疎指定の自治体はないでしょう。
東京から北へ進むか、南へ進むかでその地域の自治体のありよう、地域環境は大きく異なることになります。
そんな地域が好きか嫌いか?
住むことを条件としなければ好きな人、親しみを持つは少なくないでしょう。
▼さて国道125号から境内に入るといきなり庫裏と本堂の前に出ました。
▼いや!大きく立派なので本堂かと勘違いしましたが「客殿」だそうです。
寺の主な行事はすべてここで行われるのでしょう。
神宮寺は「全国善光寺会」の会員で、そのHPの紹介文によると
寺伝によると、大同元年(806)満願上人が開山したと伝えられる。庫裡の裏に弘仁二年(811)開山の板碑もある。また勝道上人の開山とも言われている。
だそうです。
「満願」は奈良時代の僧。
「万巻上人」という僧もいますが、同一人物かもしれません。
▼本来の寺の表参道へ向かってみます。
▼「仁王門」です。いきなり「客殿」をみた時の寺のイメージが覆されます。
寺は再三火災に見舞われているそうなので、主な建物はすべて再建されたものです。
▼石段はスゴイ年季ものです。これは相当古いものかもしれません。
伝説としてインドにある地で、サンスクリット語「ポータラカ」の音訳だそうです。
仁王像は鎌倉時代の仏師 運慶の子「湛慶(たんけい)」の作と伝わります。
▼胸に穴が空いてしまっていますが・・・。
▼仁王門からまっすぐ正面に見えるのは「観音堂」。いい眺めです。
▼遠方に「客殿」の屋根が見えます。境内は広いのです。
▼古そうな水盤が置かれている手水舎は寂びています。
▼「観音堂」には御朱印に書かれた本尊「十一面観音」像が祀られているそうです。
▼軒下に「金龍」の彫刻。
寺の名称は素っ気なく、全国無数にある「神宮寺」です。
当初は寺の西にある「高田神社」に付属して建てられたもののようです。
別当寺?
と言うより、やはり「神宮寺」なのでしょう。
▼観音堂近くの小さなお堂で小さな石仏像と対面。
みんな「三鈷杵」のような持っていますので「空海」でしょうか?
あるいは「最澄」かもしれません。
整備途中にあるように思われる寺は、10年後、20年後にはきっと見違えることになるかもしれません。
のんびりした町の、のんびりとした寺で、心もノンビリできました。