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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

誓教寺の御朱印(東京・台東区)〜画狂老人に会いに「ゆくさい」 の心構え

瑞亀山 誓教寺御朱印

せいきょうじ」浄土宗(東京都台東区元浅草4-6-9)

 

誓教寺御朱印です。

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御朱印の右下2つのスタンプは北斎の落款を模しているようです。

 

御朱印は庫裏でいただきました。

元浅草という下町らしい地域の寺は、檀家さんか近所に住まう方なのか、人の出入りが多くアットホームなイメージ。

そんな中、御朱印も気持ちよく対応いただけました。

 

誓教寺訪問は御朱印をいただくのはもちろんですが、

▼この人に会いに行くのもその目的です。                                  葛飾北斎 - Wikipedia

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会いに行くと言っても1849年88歳で亡くなっていますので、彼の墓地訪問です。

奇人であり、日本を代表する浮世絵師でもある葛飾北斎です。

 

北斎墨田区で生まれています。

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生涯に100回ほど引越しをしているので、ほとんど住所不定だったのでしょう。

名古屋、関西、信濃などにも滞在期間があり、長くにわたる定住地と言えるものはないようです。

 

▼しかし現代、ここに彼の定住地があります。

▼とっても未来的でオシャレな「すみだ北斎美術館」です。

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北斎の生誕地にできた美術館名を「葛飾北斎美術館」としなかったのは、

ここが墨田区で葛飾区ではないからでしょうか?

昔の葛飾郡はかなり広域だったので、現在の葛飾区はその一部分。

北斎の生誕地は正確には「武蔵国葛飾郡本所割下水」、現在の「両国」と言って良いでしょう。

建物の前の道路は「江戸東京博物館」前から続く「北斎通り」と名付けられています。

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両国は「大川(隅田川)」の「川向こう」にありますが、

誓教寺は「大川」の手前、上野に近く、メトロ銀座線「稲荷町」から300mほどです。

寺の前の通りは「左衛門橋通り」。

▼現地を訪れて寺らしい山門を見つけたものの、寺名は目指す目的の名称ではない。

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▼しかし、この地域にしてはあまりに見事な庭が望め、思わず境内に足を踏み入れる。

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整えられた境内の「吉祥院」は御府内八十八ヶ所の60番札所でした。

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当然御朱印もいただけるのでしょうが、この日は目的ではないので寺を出ます。

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▼目的の「誓教寺」は「吉祥院」の真向かいにそのガイド板がありました。

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さすが世界の北斎、ガイド板にはきちんと英文の案内も併記されています。

 

▼「誓教寺」の正面はこの姿。どうしても対面の「吉祥院」と比べてしまいます。

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▼正門は閉じていますが、間違いなく「誓教寺」です。

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台東区の主な寺社に定番のおしゃれなガイドです。

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本堂です。手前の境内は「片付けられない」モノが目立ちます。

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しかし奇人とも言われる北斎が眠るには、箱庭のように整えられた寺より、こちらの方が相応しいかもしれません。

また、外見だけで判断してはいけません。

これまでの経験上、「片付けられない」モノが散乱する寺社の主人は、大抵「人が良い」のです。

ここもその経験を裏切らず、気さくで性格の良さそうなご住職の姿を御朱印をいただいたときに確認しました。

 

▼ほかはともかく、墓の案内板はキチンとしています。

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北斎の墓は、墓域を進めば覆屋があるのですぐ見つかりました。

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▼暮石の正面は「画狂老人卍墓」と彫られています。合掌です。

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▼「富嶽三十六景」など北斎が好んで数多く描いた「富士」のモニュメント。

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▼そして「北斎像」。

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北斎の墓、富士モニュメント、北斎の3つは

何とも調和が取れていないように感じますが、

▼さらにこのインパクトに無調和はトドメを刺されました。

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しかし、これもやはり奇行に富んだ北斎に似合いのモノたちかもしれません。

 

▼庫裏内の様子です。

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北斎の娘が建てたという墓ですが、

辞世の句は「悲と魂で ゆくきさんじや 夏の原」。

北斎は墓などいらなく、その骨は野原に埋めて欲しかったかもしれません。

 

かの北斎が眠るのだから「大きく立派な寺」と勝手にイメージを抱いている方は、

心して訪問ください。

 

 

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