今日は「二の酉」。
東京では新宿、浅草、目黒、花畑など「酉の市」で有名な神社をはじめ、摂社、末社に大鳥神社が鎮座する大小の神社では限定御朱印が授与されるのでしょう。
そして、さまざまなSNSで紹介されること間違いない。
しかし、御朱印収集に10年以上携わっていると、気にはなるものの、書置きの限定御朱印に感動や有難味を感じることは少なくなった今は、わざわざ脚を向けるテンションが湧いてこない。
もとより、大いなる信仰心を持って始めた御朱印収集ではない。
とっつきは、御朱印帳にいただいた達筆な朱墨の美しさに魅せられたからだ。
もちろん、収集途中から必然的に宗教、歴史などの知識欲が湧いてきて、収集と寺社の訪問がさらに興味深くなった。
収集を始めて6、7年が経過した2018、2019年頃より、美しいと感じていた朱墨の御朱印に他の色が加わるようになった。
確かに御朱印としては斬新に感じた。
当初は限定とされていたカラフル御朱印が、いつの間にか常態化した。
巷に溢れる多種多様なカラフル御朱印、その内容はエスカレートし、飛び出す御朱印も現れ、SNSにも溢れるようになった。
SNSには少数しかUPされない朱墨だけの御朱印は肩身の狭い思いかもしれず「イイネ」も少ない。
そしてコロナ禍。
書置きが正当化され、遥拝のうえ郵送される御朱印なんてものも出現。
この流れに抵抗を感じつつも、何とか収集と気持ちを維持してこれたが、もはや限界のようだ。
限界というよりテンションが下がったのだろう。
そんな自らの熱意は永遠に続くわけはないから、書置きカラフル御朱印を言い訳にしているかもしれないし、
10年以上続けてきた御朱印収集に単に「飽き」がきたのかもしれない。
と言って全面撤退ではない。
御朱印に対する旺盛な意欲で寺社を訪問することはなくても、気が向いた時、出かけて気づいた時、またはテンションが上がった時などで御朱印と対面すれば良い、というユルイ気持ちになっている。
ユル〜〜く、ナガ〜〜くである。