▼光丸山 法輪寺の御朱印です。(天台宗/栃木県大田原市佐良土1401)
いただいた御朱印は「8月限定」だったようで、同じデザインの見開きもありましたが、シングルバージョンを選択です。
法輪寺も「那須三十三観音霊場」の札所ですので、そちらの御朱印もいただけます。
また「東国花の寺」にも名称を連ねています。
若いご住職とその奥様らしき女性に対応いただきました。
ここ佐良土門前町の屋号が連なる街並みの話などをしていて、授与所の写真を撮り忘れました。
▼駐車場近くの、ここ「大日堂」の右手の建物でいただきました。
それにしても、こちらのつまらない話にずっとニコニコ受け答えいただいた女性と住職に感謝です。
素敵なご夫妻(おそらく)でした。
若いご夫婦が守っていらっしゃる寺や神社で、嫌な思いをしたことがありません。
法輪寺も微笑ましく感じられたお二人でした。
今回で1番に気持ちよく参拝できた寺院でした。
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大田原市の佐良土(さらど)には、失礼ながら法輪寺より先に街並みに興味を持っていました。
▼佐良土の町は、約1000年前開創の「法輪寺」の門前町として栄えたそうです。
R294の東、現在は趣のある集落、街道筋ではなくなってしまっていますが、
それでも、わずかに門前町・宿場の雰囲気が残されています。
▼街道沿いには大きく立派な家ばかりです。
▼そして、この街並みを面白くしているのは「屋号」の看板です。
「屋号」は集落内に同じ姓が多く区別するために付けられたものですが、
それぞれの家屋敷の場所や商売、特長、出身地、家格、主人の名などを表していて、
現在でも「屋号」で呼び合うことがあるそうです。
屋号の看板を掲げる地域は他でもあるそうですし、
傘などの持ち物に屋号を入れる習慣が残っている事もあるそうです。
かつてはそれぞれの屋号で何らかの商いをされていたのでしょうが、現在では看板の屋号と現実の職業は異なるのでしょう。
▼それでも「床屋」は言葉も職業も現役です。一番わかりやすく見事なカンバンです。
▼「さらど」と濁って読む、佐良土は「門前町」「屋号宿」として歴史と文化を引き継ごうとしているようです。
▼そんな屋号の看板が途切れる街並みの北、街道沿いの川の中に鳥居が建っています。
▼扁額は「光丸山大権現」で「光丸山 奥の院 一の鳥居」の案内もあります。
天照大神が祀られている奥の院は、ここから1kmほど先の小高い山の中にあるようです。
かつてはこの川で禊をして、鳥居をくぐり奥の院に向かったのでしょう。
▼この鳥居は「はさみ紙」にも利用されていました。
▼鳥居の存在で分かるように「法輪寺」も神仏習合の聖地だったのでしょう。
鳥居のすぐ脇に見られるのが、駐車場前になる「大日堂」ですが、
寺は初院、中の院、奥の院の三院と大日堂で構成されているそうです。
▼先ずは「大日堂」に参拝です。
▼時を刻んできた狛犬たちが睨みを利かしています。
▼地元の人たちには「こうまるさん」と山号を呼び、親しまれているそうです。
▼大日堂の左隣にあるのは「天狗堂」。
▼ガラス越しに内部を見ると「天狗の面」が安置されています。
「おメン」は大天狗で、高さ約2.1m、幅1.5m、鼻高1.3m、重さ1トンだそうです。
木製の天狗面では日本一の大きさと言われる面は、禍を鎮める目的で奉納されたもの。
▼大日堂の右手に別な参道が延びています。この先が「中の院」になるのでしょう。
▼「那須三十三観音 23番」のほか「東国花の寺」や、天然記念物「西行桜」の案内が建ちます。
▼参道正面に茅葺の山門。一挙に雰囲気が変わります。
門の右脇に立てかけられた札の「径寸十枚是国宝非」「一隅を照す是国宝」の言葉は、
天台宗のキャッチフレーズ!?
▼長野・阿智村の「長岳寺」で同じ言葉を目にしています。
▼扁額は「光丸山」でなく「正覚山」になっていて??です。勅額です。
▼「鐘楼」も茅葺。なぜか茅葺は日本人の心をくすぐります。外国の方にも?かも。
▼釈迦如来が祀られた「中の院」の「本堂」のようです。
▼「観音堂」です。こちらが「那須三十三観音 23番」の札所でしょう。
▼こちらは「薬師堂」です。
▼参道を駐車場方面へ戻ります。
度々のことですが大雑把な訪問では何もわからず、「西行桜」など見逃したものも多い中で、何よりも記憶に残るのは、
若い住職夫妻の「対応と笑顔」でした。
「できれば 必ず もう一度 伺いたい」と思わせられた「法輪寺」でした。
さらに前回記事の「長泉寺」や、今回の「法輪寺」が札所ならば、
改めて「那須三十三観音霊場」をすべて巡ってみたい気持ちにさせられました。
いろんな思いが浮かぶ中、いただいた御朱印の「延命地蔵尊」がどこにいらっしゃるのか分からず、お参りもできませんでした。
不覚でした。